2003年4月6日(日) 犬山祭

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 6日はあまりによい天気で、写真クラブ員としての血が騒ぎまして (^_^ゞ、「桜と祭り」のテーマで芸術写真を撮りに、「犬山祭」に行ってきました。
 犬山駅前から会場の針綱(はりつな)神社まで、屋台が並んで、大変な混雑です。

 犬山祭は針綱神社のお祭りで、1635年に始まりました。
 針綱神社の前に集合する13輌の車山(やま)は、13輌すべてに「からくり」がついていて、順番に神社に奉納します。
 13輌 すべての「からくり」を見るのは時間がかかって大変なので、「浦島」など3輌を見ました。
 車山に乗っている太鼓をたたいている子供達(下山子供連)が背中に背負った、豪華な「金襦袢」が有名です。

山車と背中の金襦袢 桜と山車と犬山城
針綱神社前にて 浦 島


 犬山には、犬山城と如庵という国宝が2つあります。

◇犬山城

 犬山城は天文六年(1537年)現在の位置に天守が造営され、織田与次郎信康が城主となったが、子信清のとき織田信長に攻められ落城しました。
 慶長六年(1601)松平忠吉が清洲城に入ると犬山城はその属城となり、小笠原吉次が城代として入りました。
 元和四年(1618)には尾張徳川藩の家老格であった成瀬正成が三万五千石で入封し明治に至りました。
 昭和24年濃尾震災で天守の東、南と西北の付櫓・城門がこわれたので、同28年旧犬山藩主正肥に城を修理するという条件で譲られ唯一の個人所有として現在に至っています。
 昭和2年11月20日天皇陛下が登閣され、同10年5月13日国宝に指定されました。
 同27年3月29日規則改正にともない再指定された昭和36年4月から解体修理を始め昭和40年3月2日竣工復元しました。

犬山城 木曽川河畔から 国宝茶室・如庵


◇如庵(じょあん)

 織田有楽斎は信長の実弟として天文16年(1547)に生まれました。
 波瀾に富んだ人生を送った有楽斎は晩年、武家を捨て京都建仁寺の正伝院に隠居し、有楽斎如庵と号しました。
 そこに建てられた茶室が如庵で、昭和11年に国宝の指定をうけた茶道文化史上貴重な遺構です。
 京都山崎妙喜庵内の待庵・大徳寺龍光院内の密庵と共に現存する国宝茶席三名席の一つといわれています。
 明治以後、如庵・書院ならびに付属建物は有楽の生涯を写すがごとく各地を転々としましたが、昭和47年に犬山城下の佳境の地に移築され、この地は“有楽苑”と名づけられました。
 
 
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