2003年4月13日(日) 飛騨高山

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◇2003年4月13日(日) 飛騨高山

 高山祭を翌日に控えた13日に、飛騨高山に行って来ました。
 今回の旅行の目的の一つは、一度も行ったことがなかった「高山城」。
 現在の高山観光は「陣屋」や「上三之町」など、天領時代のものが中心となっていますが、そもそもこの街は金森氏の城下町でした。

幟が立つ高山駅 城山公園の金森長近像


 街の南東にある城山公園には「金森長近騎馬像」が建っています。
 高山城址へは城山公園から20分くらいの登山で、結構きつかったです。
 本丸跡には石垣が修復されていました。

 金森長近は、大永4年(1524年)美濃、多治見で生まれたとされています。
 18歳のとき尾張織田家に仕官し、桶狭間の戦いにて功績をみとめられ、赤母呂集に選ばれました。
 賤ケ岳の戦いには勝家に加担し布陣しましたが、前田利家らともに兵を撤収し秀吉に従う意思を示しました。
 天正12年(1584)、長近は秀吉の命を受けて飛騨に攻め入り、富山城主佐々成政と手を結ぶ三木自綱を追放しました。
 秀吉は長近に功績として飛騨の国を与えました。

 金森氏は六代頼時(よりとき)の時、出羽上ノ山に転封となってしまい、飛騨は幕府(将軍は綱吉)の天領となりました。
 その5年後、また金森氏に郡上八幡に転封の命令が下ります。
 七代頼錦(よりかね)の時に、有名な宝暦郡上騒動を引き起こし、この責任を問われ金森家は領地没収改易となりました。

高山城址 桜山八幡宮


 あと見学したのは「桜山八幡宮・屋台会館」、「上三之町」など、定番でしょうか。
 「上三之町」の商家には、龍神台のからくり人形が展示してありました。
 これは現在使われている人形ではなく、一代前のものだそうです。

屋台会館 赤い中橋


 「高山陣屋」はなかなか充実していました。
 陣屋は天領となった飛騨を統治するための建物で、江戸時代の建物がかなりの部分、そのまま残されています。
 特に、御蔵とよばれる年貢米を収納する建築物は高山城にあったものを元禄8年(1695)に移築したものであり、蔵建築で全国最大にして最古のものです。
 御蔵の内部には高山の歴史についての詳しい展示もあり、一見の価値があります。

高山陣屋 久美愛病院


 飛騨高山まで「ワイドビュー飛騨」で約2時間。
 近くなったものです。
 桜は下呂のあたりで満開でした。
 4月19日(土)、20日(日)には「市町村合併記念」とかで、また屋台が出るそうです。
 その頃には高山の桜も満開でしょう。
 

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