笠寺観音・宮本武蔵 (03/7/25)

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◇笠寺観音・宮本武蔵 (03/7/25)

 宮本武蔵は巌流島の戦い(慶長17年・1612年)の後、寛永5年(1625年)頃に、尾張藩に仕官するため名古屋にやってきました。
 仕官は叶いませんでしたが、武蔵は3年間名古屋に滞在したとも言われ、彼の名声を慕って多くの弟子が入門しました。
 武蔵が滞在した笠寺観音の塔頭である東光院には武蔵の遺品が残されていて、毎月25日に展示と解説があるとのことで、笠寺観音まで行ってきました。

笠寺観音(旧東海道から) 笠寺観音境内
笠寺観音境内の武蔵記念碑 没後100年を記念して建てられた


 東光院には50人くらいの人が座っていました。
 丁度、大河ドラマ『武蔵』の「ゆかりの地」で取り上げられたばかりだそうです。

 何と言っても素晴らしいのは武蔵の書。
 「南無天満大自在天神」と書かれているそうですが、「南無」は右手、「天満大自在」は左手、「天神」はまた右手で書かれています。
 そして「天神」の字からは、梅の花と枝が描かれています。

 肖像画は、門弟達により没後百回忌に作られたものらしい。
 武蔵が削ったという樫の木刀もありまして、持たせてもらいましたが、意外に軽かったですね。

東光院 説明会・住職の右に掛け軸
武蔵自筆の書と肖像画 武蔵が削った木刀


 笠寺観音は旧東海道に面していて、500米ほど東(鳴海宿方向)に行くと「笠寺一里塚」があります。
 「笠寺一里塚」は愛知県内に現存する五つの一里塚のうちの一つ。
 江戸日本橋より88里で、東側の塚だけが残っていますが、榎の大木が立派です。

旧東海道 笠寺一里塚


 「笠寺一里塚」の近くに「見晴台記念館」がありました。
 見晴台遺跡は昭和16年から発掘が始められ、弥生時代後期から古墳時代前期にかけての住居跡が発見されています。

見晴台記念館 その内部・入場無料
 
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