半田・矢勝川(彼岸花の散歩道) 2003年10月3日

ホームページ  気まぐれ紀行03
 

◇半田・矢勝川(彼岸花の散歩道)10/3

 半田の矢勝川(やかちがわ)は彼岸花がきれいなんだそうで、写真部員として芸術写真を撮るために駆け足で行って来ました。
 午前中の仕事を済ませて、12:42の内海行き名鉄特急に乗り、13:09に知多半田着。
 近いものです。 駅からタクシーで新美南吉の生家まで約1500円。

新美南吉の生家 その内部


 新美南吉については後で触れますが、生家のそばから新美南吉記念館までの約2キロの矢勝川堤防が「彼岸花の散歩道」で、およそ100万本の彼岸花が植えられています。
 途中に橋がありまして、徳川家康が桶狭間の合戦の前に、生き別れとなり阿久比に住んでいた母「お大の方」に会うために渡ったという由緒ある橋だそうです。

家康が渡った橋と矢勝川 堤防に彼岸花が続く


 赤い彼岸花の中に白い彼岸花が植えられた場所があって、これが「ごん狐」の形になっているそうです。
 あまりそうは見えませんでしたが (^_^;。
 彼岸花は少し盛りを過ぎていたようですが、それでもこれだけ並ぶと壮観です。
 この彼岸花は平成2年から植えられているそうです。

「ごん狐」に見える? 遠くに「ごん狐」を望む
少し盛りは過ぎているが‥‥ 芸術写真?


 新美南吉資料館のそばには案内所が出ていました。
 この案内所から見ると、黄色い稲と紫のコスモス、そして赤い彼岸花のコントラストが見事です。
 ウィークデイなのに、人では多かったですね。

稲とコスモスと彼岸花 紫のコスモス


 新美南吉は大正2年に生まれました。
 19歳で東京外国語学校に入学し、「ごん狐」を発表しました。
 大学卒業後、喀血のために故郷に戻り、安城高等女学校の教師をしながら作品を発表しましたが、喉頭結核のため、29歳で死亡しました。
 新美南吉記念館は変わった設計で、入り口は地下にあります。
 僕は南吉もごん狐もよく知らなかったんですが、「いしゃはもうだめといいましたが、もういっぺん よくなりたいと思います」と書かれた手紙には心を打たれました。

新美南吉記念館・入り口は地下 その内部
 
ホームページ  気まぐれ紀行03