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◇半田・矢勝川(彼岸花の散歩道)10/3 半田の矢勝川(やかちがわ)は彼岸花がきれいなんだそうで、写真部員として芸術写真を撮るために駆け足で行って来ました。 午前中の仕事を済ませて、12:42の内海行き名鉄特急に乗り、13:09に知多半田着。 近いものです。 駅からタクシーで新美南吉の生家まで約1500円。
新美南吉については後で触れますが、生家のそばから新美南吉記念館までの約2キロの矢勝川堤防が「彼岸花の散歩道」で、およそ100万本の彼岸花が植えられています。 途中に橋がありまして、徳川家康が桶狭間の合戦の前に、生き別れとなり阿久比に住んでいた母「お大の方」に会うために渡ったという由緒ある橋だそうです。
赤い彼岸花の中に白い彼岸花が植えられた場所があって、これが「ごん狐」の形になっているそうです。 あまりそうは見えませんでしたが (^_^;。 彼岸花は少し盛りを過ぎていたようですが、それでもこれだけ並ぶと壮観です。 この彼岸花は平成2年から植えられているそうです。
新美南吉資料館のそばには案内所が出ていました。 この案内所から見ると、黄色い稲と紫のコスモス、そして赤い彼岸花のコントラストが見事です。 ウィークデイなのに、人では多かったですね。
新美南吉は大正2年に生まれました。 19歳で東京外国語学校に入学し、「ごん狐」を発表しました。 大学卒業後、喀血のために故郷に戻り、安城高等女学校の教師をしながら作品を発表しましたが、喉頭結核のため、29歳で死亡しました。 新美南吉記念館は変わった設計で、入り口は地下にあります。 僕は南吉もごん狐もよく知らなかったんですが、「いしゃはもうだめといいましたが、もういっぺん よくなりたいと思います」と書かれた手紙には心を打たれました。
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