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◇天下茶屋(御坂峠) 太宰治は昭和12年7月に、最初の妻小山初代と離婚した後も、東京で乱れた生活を送っていました。 しかし井伏鱒二の説得もあって、生活を立て直すことを決心し、太宰は昭和13年9月13日から同年11月15日までの約2ヶ月間、御坂峠の天下茶屋に滞在し、執筆に励みました。 この体験をもとに、昭和14年太宰治30歳の時に「富嶽百景」が書かれました。 天下茶屋の名前は、徳富蘇峰がここを富士の眺め「天下第一」としたことによります。 太宰はここからの富士山を好まず、「これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割(かきわり)だ」と書いています。 当時の建物は昭和53年台風により崩壊し、その後昭和58年4月に現在の茶屋が再建されました。
『富嶽百景』 あまりに、おあつらひむきの富士である。まんなかに富士があつて、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひつそり蹲うづくまつて湖を抱きかかへるやうにしてゐる。私は、ひとめ見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どほりの景色で、私は、恥づかしくてならなかつた。 |