鳥取(1) 砂丘 & 鳥取城 & 荒木又右衛門
2006年8月5日(土)

気まぐれ日本紀行06  ホームページへ  鳥取(2)へ
 
 
 鳥取まで一泊旅行をしてきました。
 新大阪から「スーパーはくと9号」に乗って、鳥取までは3時間弱。

スーパーはくと9号 鳥取駅


◇ 鳥取砂丘

 鳥取駅到着は6時でしたが、まだ明るかったのでタクシーで鳥取砂丘へ。

砂丘センター もう閉館 この階段を上ると
鳥取砂丘 こんな感じ
 
 
 夕陽の砂丘が芸術写真でしょうか (^_^) 。



◇ 鳥取城

 鳥取城は秀吉の兵糧攻め「鳥取の飢(かつえ)殺し」で有名です。
 敗軍の将として切腹した吉川経家(きっかわ つねいえ)の像が建っていました。

鳥取城方面 吉川経家


 江戸時代のお殿様は、徳川家康の二女・督姫と池田輝政との間に生まれた忠雄の家系で、親藩に準ずる家格を与えられていました。

 仁風閣は、明治40年に池田家の別邸として建てられ、嘉仁皇太子殿下(のちの大正天皇)山陰地方行啓の宿舎として使用されました。

鳥取城の石垣と仁風閣 仁風閣のアップ


◇ 荒木又右衛門の墓(玄忠寺)

 荒木又右衛門が妻の弟である池田藩士渡辺数馬の助太刀として、伊賀上野鍵屋の辻で河合又五郎を討ったのは、寛永11年(1634年)11月5日のことでした。
 この仇討ちは「伊賀越鍵屋辻(いがごえかぎやのつじ)」として日本三大仇討ちの一つに数えられています。

 その後又右衛門と数馬は藤堂家に預けられましたが、鳥取藩主池田光仲の願いにより、寛永15(1638年)8月12日に鳥取に移りました。
 しかし、同年8月28日に急死したということです。

玄忠寺 荒木又右衛門の墓
金網がかかっている 荒木又右衛門遺品館

 鳥取に着いてからここまでで、およそ1時間。
 タクシー代は4000円超でした。
 
 
気まぐれ日本紀行06  ホームページへ  鳥取(2)へ