松本&姨捨(おばすて)紀行
2)鈴木鎮一記念館  2006年8月20日(日)

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◇ 鈴木鎮一記念館

 僕は才能教育でバイオリンを習っていたので、松本市には特別の思いがあります。
 小学生の頃には浅間温泉で開かれていた夏期学校に参加したことがあります。
 先生が住んでおられたこの記念館などは聖地のようなものです。

 パンフレットによれば、
 鈴木鎮一記念館は、松本市名誉市民の故鈴木鎮一氏(1898年10月17日〜1998年1月26日)が、1951年(昭和26年)から1994年(平成6年)まで住まわれた邸宅で、スズキメソード発祥の地です。
 鈴木先生の功績を後世に残すために、鈴木鎮一記念館が1996年(平成8年)4月12日に開館しました。

 邸宅には、カザルスやロストロポービチなど、世界の巨匠たちもたびたび訪れており、そのたたずまいを今に残しています。
 記念館は、同氏が世界的な視野で活躍された業績を称える数多くの資料を公開展示しており、スズキメソードの真髄を知ることができます。
 
鈴木鎮一記念館 銘板文「どの子も育つ 育て方ひとつ」
玄関 広い居間
同じく居間 食 堂


1898年(明治31年)
 10月17日、名古屋市東門前町に父・政吉、母・良の次男として生まれる。
 政吉は国産ヴァイオリンを初めて製作、1888年にヴァイオリン製作工場を設立、一時は世界最大の工場となる。

1916年(大正5年)18歳
 3月、市立名古屋商業学校卒業。
 鈴木バイオリン工場に入社、輸出業務を担当。

1918年(大正7年)20歳
 この年の秋頃から呼吸器疾患で、静岡県興津の旅館で約3ヵ月間の療養をする。
 この間、同宿した北海道の事業家・柳田一郎一家と親しく交際。

1919年(大正8年)21歳
 8月、柳田の紹介で徳川義親侯爵ら一行の北千島探険旅行に参加。
 徳川侯爵や同行のピアニスト・幸田延(幸田露伴の妹)にヴァイオリンの本格的勉強を勧められる。

1920年(大正9年)22歳
 この春、父。政吉の許しを得て上京。
 徳川侯爵家に寄宿し、ヴァイオリンを安藤幸(幸田露伴、延の妹)に師事。

1921年(大正10年)23歳
 10月、徳川侯爵らの世界一周旅行に同行し、ドイツヘ留学。

1922年(大正11年)24歳
 知人の紹介で聴いたクリングラー・クヮルテットの演奏に深く感動。
 カール・クリングラー(ベルリン高等音楽学校教授)を訪ね、入門を許される。
 物理学者アルバート・アインシュタイン博士やその知己たちとの交際が始まり、人間的感化を受ける。

1928年(昭和3年)30歳
 2月8日、知人宅で催されたホームコンサートで知り合った、ワルトラウト・プランゲと結婚。
 結婚後しばらくして、母・良危篤の報を受け帰国。
 のち、章、二三雄、喜久雄の三人の弟と「鈴木クワルテット」を結成。

1931年(昭和6年)33歳
 カルテットの活動を続けながら、東京世田谷に創設された帝国音楽学校の教授に就任。
 この頃、4歳の江藤俊哉が鈴木の指導を受け始める。

1937年(昭和12年)39歳
 自宅で幼い江藤俊哉、豊田耕兒、小林武史・健次兄弟、有松洋子、鈴木秀太郎、諏訪根自子らにヴァイオリンを指導する。

1943年(昭和18年)45歳
 戦時下で学校経営が困難となり帝国高等音楽学校解散。
 水上飛行機のフロート製作工場に転換させられた鈴木バイオリンの木曽福島工場長となる。

1944年(昭和19年)46歳
 7月31日、父・政吉死去。享年85歳。

 1946年(昭和21年)48歳
 9月、松本市下横田に松本音楽院開設。
 院長に就任、松本へ移る。
 12月、才能教育研究会の前身といえる「全国幼児教育同志会」結成。

1948年(昭和23年)50歳
 4月、同志会を「才能教育研究会」と改称

1955年(昭和30年)57歳
 3月27日、東京体育館にて第1回才能教育全国大会開催。
 約1200名の子どもたちによるヴィヴァルディの協奏曲イ短調など、ヴァイオリンの大合奏が大きな反響を呼ぶ。

1959年(昭和34年)61歳
 『ヴァイオリン指導曲集』(全10巻、全音楽譜出版社)が完成。

1964年(昭和39年)66歳
 3月5日、初のアメリカ演奏旅行出発。
 6〜14歳の子どもたち10名を伴う総勢19名で、アメリカ各地を訪問。
 "スズキの衝撃"とマスコミや教育・音楽界から評価を受け、圧倒的な成功をおさめた。以後、全世界から高い評価を受ける発端となる。

1986年(昭和61年)88歳
 米寿記念コンサート「鈴木鎮一と”キラキラ星”たち」がサントリーホールで開かれる。

1996年(平成8年)98歳
 鈴木鎮一記念館が開館。

1998年(平成10年)
 1月26日永眠。享年99歳。
 
 
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