浜松紀行 2006年8月27日(日) 2) 築山御前(佐鳴湖・太刀洗の池・西来院・浜松城) |
◇ 佐鳴湖 浜松の西4キロに佐鳴湖があります。 市街地に近いのに観光開発もされていない寂しい湖で、「透明度の低い、日本で一番汚い湖だ」という運転手さんのお話でした。 時は天正7年(1579年)8月29日、武田方に密通した疑いで岡崎に幽閉されていた家康の正妻築山御前(38歳)は、夫家康が待つ浜松へ移送される途中、佐鳴湖を船で渡りました。 船の中では、疑いをかけられた自分や息子信康のことを、どのように夫に説明したらよいか、いろいろ考えていたことでしょう。
◇ 大刀洗の池 佐鳴湖から浜松方向に向かうこと数百メートル、浜松医療センターの駐車場に「大刀洗の池」があります。 築山御前はこの辺りで、家康の命を受けた家臣、野中重政によって斬殺されたとされています。 案内板によれば、築山御前を斬った太刀を洗った池が、ここにあったそうです。 そして、この辺りは御前谷と呼ばれているそうです。
◇ 西来院(せいらいいん) 大刀洗の池から浜松寄りの西来院に、築山御前の墓があります。 法名は清池院殿潭秋天禅定法尼。 廟堂は昭和53年の四百年忌に復元されたそうで、墓石を覆う「築山御前・月窟廟」は新しい建物でしたが、墓石自体は由緒ありげなものでした。
◇ 浜松城 元亀元年 (1570年/29歳) 岡崎から浜松に移る・姉川の合戦 元亀3年 (1572年/31歳) 三方ヶ原の合戦 天正3年 (1575年/34歳) 長篠の戦い 天正7年 (1579年/38歳) 築山御前斬殺・信康切腹 天正9年 (1581年/40歳) 高天神城の攻略に成功 天正12年(1584年/43歳) 小牧・長久手の戦い 天正14年(1586年/45歳) 駿府城に移る。 明治維新後、お城は壊されましたが、昭和33年、旧天守台の上に新天守閣が再建されました。
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