旧阪大病院 『白い巨塔』&『愛と死をみつめて』 2006年11月19日(日) |
万博公園に近い大阪大学附属病院には、4月23日に行きましたが、新病院は僕にとっては阪大病院ではありません。 やはり、阪大病院は財前五郎助教授が浪速大学第一外科教授選を戦った、中之島の旧病院でなくては。 中之島は地下鉄工事でゴミゴミしていましたが、旧阪大医学部跡地には「大阪大学 中之島センター」が建っていました。 受付のお姉さんに旧阪大病院の資料を聞いてみたら、1961年と1983年の2つの見取り図を出してくれました。 『白い巨塔』のオープニングは昭和38年(1963年)。 ちょうど新病院の工事が行われていました。
この地図に寄れば、堂島川を挟んで、医学部と附属病院が建っていたようです。 『白い巨塔』には「鉄筋五階建ての建物の二階以上は南に向かってテラスと大きな窓を持ち、窓の下には堂島川が流れ」と描写されています。
◇ 愛と死をみつめて 旧阪大病院は『愛と死をみつめて』の舞台でもありました。 大島みち子さん(ミコ)は昭和33年(1958年)兵庫県立西脇高校2年在学中に顔面の軟骨肉腫が発症。 昭和35年(1060年)3月 阪大病院南病棟二階(1961年図の赤丸)へ入院。 同年7月、阪大病院南病棟共同炊事場で、耳の手術で入院していた浪人生河野実さん(マコ)と初めて出会い、文通を始める。 昭和37年(1962年)同志社大学入学の喜びもつかの間、7月夏に再発し、阪大病院に再入院。 同年11月手術。 昭和38年(1963年)8月7日、阪大病院東館(1961年図の緑丸)にて永眠。 そして、先に書いたように、『白い巨塔』は昭和38年、旧病院が壊され、新病院の工事が行われている場面から始まるのです。 |