国定忠治の墓と赤城山 2007年9月17日(月・休) |
大学病院めぐり、獨協医大と自治医大をこなしまして、小山と高崎を結ぶ両毛線で強引に群馬大学を目指します。 秋田では大雨で、新幹線が止まったそうですが、こちらは晴れ。 赤城山がきれいに見えてきましたので、国定の駅で降りました。 予想通りタクシーはおらず、電話してもなかなか来ません。 隣の伊勢崎から来たそうで、まったく申し訳ないことです。
「国定忠治のお墓がある養寿寺へ」と言ったところ、「この辺は詳しくないんですよ」との返事。 昔に一回行ったことがあるという運転手さんの記憶が頼りでしたが、見事に養寿寺に到着することが出来ました。 国定忠治遺品館があったのには驚きましたが、閉館中。 なかなか来る人がいないのでしょう。 忠治の墓はギャンブルのお守りとして削られて小さくなっており、柵に入っていました。 隣に大きい「長岡忠治之墓」の碑が建っており、このあたりは長岡姓が多いそうです。
文化7年(1810年)、伊勢崎市国定町の生まれで、本名は長岡 忠次郎。 博徒となって上州から信州一帯で悪事を重ねましたが、 嘉永3年(1851年)12月21日、磔で処刑されました。 享年41歳でした。 |