香川の旅 2)玉藻公園・高松城 2009年5月3日(日) |
徳川幕府初期の四国は、阿波の蜂須賀、伊予松山の加藤嘉明、高知の山内など、尾張の土豪が領土を与えられました。 愛知県が四国全体に拡大したようなものです (^_^) 。 讃岐に封ぜられた生駒親正は岐阜県出身ですが、愛知県江南市に屋敷跡があります。 蜂須賀家の屋敷も近くにあったようです。 生駒親正は数年の歳月を掛けて高松城を築城しました。 高松城は、またの名を玉藻城と呼ばれていました。 瀬戸内の海水を堀に引き込んだこの城は日本の三大水城の一つと呼ばれています。 生駒家四代目城主高俊は暗愚で、寛永17年に生駒騒動を引き起こし、出羽(秋田県)由利郡矢島1万石の地に移されました。 そして、寛永19年に徳川家康の孫で水戸の徳川頼房の子、松平頼重がこの高松城に入りました。
松平頼重は水戸藩第二代藩主である徳川光圀(水戸黄門)の同母兄でした。 光圀は18歳の時、司馬遷の『史記』伯夷伝を読んで感銘を受け、兄を差し置いて相続人となったことに強い罪悪感を持ちました。 後に光圀は兄の子供の綱方、綱條を養子として迎え、水戸藩家督は綱條が継ぐこととなりました。 その後も水戸藩は綱條の子孫(=高松松平家の子孫)が家督を相続し、幕末の慶喜に至ります。 一方で、讃岐の頼重は光圀の実子・松平頼常を養子に迎え、つまり子供の入れ替えを行いました。 光圀はおかしな人だと思いますよ (^_^; 。
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