1)稲村ヶ崎(江ノ島と富士山)
鎌倉・江ノ電紀行 2010年12月31日(金)

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 年末年始は鎌倉・江ノ電紀行をしてきました。
 まずは稲村ヶ崎から「江ノ島と富士山」の写真に挑戦です。
 
 元弘3年(1333年)5月、新田義貞は鎌倉攻めのため、稲村ヶ崎の海岸を渡ろうとしましたが、稲村ヶ崎を越える事が出来ませんでした。
 そこで、義貞が潮が引くのを念じて剣を投じると、その後潮が引いて干潟となり、鎌倉に攻め入る事が出来たという伝説の地です。
  「七里ガ浜の磯伝い 稲村ガ崎 名将の 剣投ぜし 古戦場 」

正面が稲村ヶ崎 史蹟 稲村ヶ崎 新田義貞徒渉傳説地

 
 公園には「ボート遭難の碑」も建っていました。
 1910年(大正5年)1月23日午後1時半頃、逗子開成中学校の生徒ら12人が、七里ヶ浜沖でボート転覆のため死亡しました。
 事故から2週間後に行われた追悼大法要で、鎌倉女学校生徒によって歌われた歌が有名になり、この事件は映画化もされているそうです。

 真白き富士の嶺 緑の江の島 仰ぎ見る眼も今は涙
 帰らぬ 十二の 雄々しきみたまに 捧げ奉らん 胸と心

 この日は快晴で、富士山は見えたのですが、残念ながら雲がかかっていました。
 
ボート遭難の碑 江ノ島と富士山


 稲村ヶ崎は夕陽の撮影ポイントとして有名なので、夕方に再チャレンジしました。
 カメラマンが多かったです。
 
夕陽の七里ヶ浜  
 
カメラマン多し  


 江ノ島に白く光っているのは、江の島展望灯台のライトアップです。
 


 こちらは、2011年1月1日の「江ノ島と富士山」です。

 
 
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