小布施/北斎館・岩松院・福島正則の墓 2011年6月5日(日) |
葛飾北斎は天保13年(1842年)82歳の時に初めて小布施を訪れ、その後も合わせて小布施を4回訪れているそうです。 高齢の徒歩旅行とは、すごいスタミナですね。 北斎館には多くの作品や資料が展示されていました。
岩松院は文明4年(1472年)に開山された曹洞宗のお寺です。 北斎は4回目の滞在の時(88歳〜89歳)、本堂の天井に21畳敷もある極彩色の「八方睨みの大鳳凰図」を描きました。 天井画の完成後北斎は江戸に戻り、90歳で亡くなっています。
福島正則(永禄4年・1561年〜寛永元年・1624年) は、関ヶ原の合戦で徳川家康に味方し、安芸、備後49万8千石の大名となりました。 しかし、元和5年(1619年)に広島城の石垣工事を勝手に行ったとして、徳川秀忠の命により信州川中島、越後魚沼郡に減封(4万5千石)・転封となりました。 正則は寛永元年(1624年)、高井野村(長野県・高山村)で死去しました。享年64。 その際、幕府の使者が到着する前に、家臣が正則の遺体を火葬したため、福島家は領地を没収されました。
岩松院には小林一茶が「やせ蛙まけるな一茶これにあり」という句を詠んだ蛙合戦の池もあるそうですが、見落としました。 |