2)第一軍戦死者慰霊碑(名古屋市千種区城山新町)
2012年4月12日(木)

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 我が家の近くにはもう一つ戦争遺跡があって、何十年も前から (^_^ゞ 気になっていたので、この機会に調べてみました。
 それは日清戦争の「第一軍戦死者慰霊碑」(名古屋市千種区城山新町)。
 日泰寺舎利殿の奥に位置し、姫ケ池交差点からも見える、高さ20メートルあまりの巨大な砲弾型の記念碑です。
 
姫ケ池交差点交差点より 巨大な砲弾型の「第一軍戦死者慰霊碑」
   

 
 日清戦争における「第一軍」は名古屋の第3師団と広島の第5師団から成っていたそうです。
 明治27年から28年にかけて、第一軍は朝鮮半島から鴨緑江を越え「満州」各地を転戦しましたが、9ケ月余りの間に戦死者は726名にものぼりました。

 明治33年3月、生還した第一軍の将兵達は、戦死者の姓名を記録した慰霊碑を鋳造し、これを第3師団、第5師団の司令部の所在地である名古屋と広島に建立することを企画しました。
 慰霊碑は同年6月、東京砲兵工廠において鋳造され、名古屋の中心(現在の中区役所の前)に建てられました。
 明治・大正のころまでは愛知県庁、愛知県会議事堂、名古屋市役所が慰霊碑の周囲に建ち並んでいたそうです。

 竣工式は明治36年5月5日に行われました。
 ところが戦意発揚の時代が過ぎると、この慰霊碑は「交通の邪魔になる、市の発展を阻害する」ということで、大正9年に現在の日泰寺の裏に移設されてしまったそうです。


◇桜満開の日泰寺舎利殿
 
 
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