平泉/中尊寺・高舘  2012年8月13日(月)

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 夏休みは岩手県を回ってみました。
 東北新幹線「一ノ関」駅前には、一関藩の蘭学者大槻玄沢を始めとする大槻三賢人像が建っていました。

JR一ノ関駅 大槻三賢人像

 
 今や東北観光ナンバーワンは世界遺産平泉です。
 金色堂への長い坂の下に、大きくて新しい「武蔵坊弁慶」の墓がありました。

 中尊寺の国宝金色堂は、奥州藤原氏の初代藤原清衡により建立されました。
 今ではコンクリートの新鞘堂に覆われています。

 芭蕉が見た金色堂の旧鞘堂も残されており、その横に芭蕉の像が立っていました。
 『五月雨の 降りのこしてや 光堂』

JR平泉駅  毛越寺庭園
武蔵坊弁慶の墓 コンクリートの新鞘堂
旧鞘堂と芭蕉像 五月雨の 降りのこしてや 光堂

 
 平泉における『奥の細道』もう一つのクライマックスは、源義経の館があり、そして義経が討ち死にした高舘です。
 標高67メートルの高舘からは、目の前に北上川と束稲山(たばしねやま)の景色が広がります。
 かつて源義経が毎日眺め、松尾芭蕉も眺めた景色を、いま自分が眺めているという、しみじみとした感慨があります。

 山頂には1683年に伊達藩によって建てられた義経堂があります。
 『奥の細道』の旅は1689年なので、芭蕉も義経堂を見ているはずです。

 『夏草や 兵どもが 夢の跡』

北上川と束稲山(たばしねやま) 芭蕉の句碑
伊達藩によって建てられた義経堂  
 
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