熱海/起雲閣 太宰治・落ち穂拾い 2013年10月13日(日)

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 「熱海の観光スポットご案内」から「起雲閣」について引用させていただきます。
 丹那トンネル開通時の鉄道大臣を務めるなど政財界で活躍した内田信也氏が1919(大正8年)年に実母の静養の地として造った別荘が基となっており、 非公開の岩崎別荘、今はなき住友別荘とならび、「熱海の三大別荘」と賞賛された名邸です。

 その後、大正14年に東武鉄道グループの礎を築き「鉄道王」の異名で呼ばれた 根津嘉一郎の手に渡り、ほぼ現在の姿に整備されました。
 1947年(昭和22年)年10月22日には、旅館「起雲閣」として生まれ変わり、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、舟橋聖一、武田泰淳など 日本を代表する文人に好まれました。
 JR線の北側に「起雲閣別館」も開業しました。

 1999年(平成11年)8月、旅館を廃業。
 2000年(平成12年)に市が取得。熱海市の観光と文化の拠点となる文化観光施設「起雲閣」として開館しました。

 太宰治は1948年(昭和23年)3月7日から31日まで、「起雲閣別館・雲井の間」に宿泊し、『人間失格』を執筆しました。
 山崎富江も付き添ったそうです。
 「起雲閣別館」は1985年(昭和60年)廃業して取り壊されました。


 
 「起雲閣別館」に宿泊中だった太宰治と山崎富江は、3月18日から2泊、本館「大鳳」の間に宿泊しています。
 「大鳳」の間は二階にある二間続きの立派な部屋です。
 創設時(大正8年)の歪んだガラス窓から、太宰と山崎富江が見たままの庭を眺めることが出来ます。
 彼らはどういう気持ちでこの庭を眺めたのでしょう?
 彼らが入水自殺したのは3ヶ月後の6月13日深夜です。

起雲閣玄関 二階への階段
「大鳳」の間 二間続きの立派な部屋
二階から見下ろす庭園 庭園から見て、二階が「大鳳」の間
 
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