芭蕉翁生家(伊賀上野) 2014年5月4日(日)

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 伊賀上野城の近くに「俳聖殿」がありました。
 芭蕉生誕300年を記念して、昭和17年(1942年)に建てられた建物で、芭蕉の旅姿を表しているそうです。
 殿内には等身大の伊賀焼芭蕉座像が置かれているそうです。

 伊賀流忍者博物館には長い列が出来ていました。
 忍者屋敷ではくノ一による解説、実演があるそうです。
 
俳聖殿 伊賀流忍者博物館には長い列が
 
 
 芭蕉翁記念館には芭蕉や俳諧の資料が展示されていました。

 上野公園を出まして、だんじり会館は「忍者変身処」になっておりまして、忍者衣装を求める長い列が出来ていました。
 
芭蕉翁記念館 だんじり会館


 「芭蕉翁生家」は街の東にありました。
 細長い民家で、玄関から奥まで土間となっています。
 松尾芭蕉は正保元年(1644年)松尾与左衛門と妻・梅の次男としてこの家で生まれました。
 松尾家は準武士待遇の農民だったそうです。

 明暦2年(1656年)、13歳の時に父が死去。
 芭蕉は寛文2年(1662年)に若くして(18〜19歳)、伊賀上野の侍大将・藤堂新七郎家の良忠に仕えることになりました。
 2歳年上の良忠(俳号:蝉吟)は遊び仲間でもあると同時に俳諧仲間でもありました。
 二人はともに京都にいた北村季吟に師事しました。

芭蕉翁生家 長い土間


 ところが芭蕉22歳のとき、良忠が24歳で亡くなってしまいました。
 良忠の死に多大なショックを受けた芭蕉は、この後、藤堂家を去ることになります。
 そして、29歳のときに句集である『貝おほひ』を著わし、伊賀上野の天満宮に奉納し、江戸で俳諧師として身を立てるため、故郷を去ることになります。

 奥庭の釣月軒は、芭蕉が処女句集「貝おほひ」を執筆した書斎です。
 道路に面して句碑が建てられていました。

「貝おほひ」を執筆した釣月軒 道路に面した句碑
 
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