猿田彦神社(《蝶々夫人》関連史跡) 2014年 5月 5日(月・祝) |
伊勢神宮に近い猿田彦神社(さるたひこじんじゃ)に行ってきました。 オペラ《蝶々夫人》で、「猿田彦の神」は最も偉い神様として出てきます。 まずは第一幕、蝶々さんの改宗に怒るBONZO(坊主)は、蝶々さんを罵った挙げ句に「Kami sarundasiko! 」との言葉を投げつけます。 「坊主(仏教)が神様(神道)とはおかしいではないか?」、「廃仏毀釈の時代なのでおかしくはない」という議論があるようです。 第二幕冒頭ではスズキが「E Izagi ed Izanami Sarundasiko e Kami 」と祈っています。 「Ten−Sjoodai 」という神様も出てきますが、これは天照大御神でしょうか。 蝶々さんは「Cio−cio−san」。
猿田彦神社のHPには次のように書かれています。 天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した後、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と御一緒に本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を始め全国の開拓にあたられました。 妻は天照大神の天岩戸隠れでも大活躍をしたことで知られる「天宇受売命(アメノウズメノミコト)」のようです。 ※天孫降臨とは(Wikipedia) 天孫降臨(てんそんこうりん)とは、天照大御神の孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が、葦原の中つ国を治めるために天降(あまくだ)ったこと。 邇邇藝命は天照大御神から授かった三種の神器をたずさえ、天児屋命(あまのこやねのみこと)などの神々を連れて、高天原から地上へと向かう。 途中、猿田毘古神(さるたひこのかみ)が案内をし、邇邇藝命は筑紫の日向(ひむか)の高千穂に降り立ったという、『記紀』に記された日本神話である。 ※愛知のオペラファンさんから、以下のようなコメントをいただきました。 最近、日本の古代史にはまっているのですが、改めてバタフライの台本を読むと、日本の古代史にかなり詳しい人が絡んでいるように思えます。 記紀は事実を基にした創作ではないかと思うのですが、自分は猿田彦は古代に壱岐を治めていた豪族で、対馬(高天原)の豪族のニニギに敗れ、ニニギの北九州攻めの案内をさせられたのではと思います。(ニニギが降りたった日向は宮崎ではなく北九州の日向でしょう) 壱岐の人達の一部は三重の南部に移住したと言われています(対馬の人達の一部は愛知の東部、津島から熱田に)。 蝶々さんの一族は壱岐の人達の子孫という設定なのではないでしょうか。 そう考えるとスズキが猿田彦や真珠貝について話すのも、ボンゾの怒り様も納得がいきます。 また、壱岐の人達は伊勢神宮や中臣・藤原家など天皇家と密接な関係を続けていきますから、父親が帝の命で切腹するのも不自然ではないですね。 |