ミュージカル座 《ルルドの奇跡》 東京芸術劇場中ホール 2001年2月25日(日)2:00PM(オフ) 6:30PM |
僕は1999年4月の初演に多大な感銘を受けた《ルルドの奇跡》、待望の再演です。 折しも今日は、ルルドに泉が湧きだした2月25日。 マチネはソールドアウト、ソワレは8割の入りでした。 マチネの会場にはシスターの姿が多く、彼女たちがこの作品にどのような感想を持たれたか聞いてみたかったんですが、ついにその勇気が出ませんでした (^_^ゞ。 ミュージカル座《ルルドの奇跡》東京芸術劇場中ホール 2001年2月25日(日)2:00PM(Bキャスト・オフ) 6:30PM(Aキャスト) 何と言っても、全編を音楽で綴った山口e也さんの曲が素晴らしい。 中でも冒頭、現代のルルドで旅行者のミミ(伊東恵里)によって歌われた『ベルナデットの歌』というナンバーはこの上なく美しい。 このメロディーは第二部では『君への花束』というナンバーとして、修道院へ去るベルナデットを想う青年アントアンによって歌われます。 この場面が泣けるんだな。『彼女の名はベルナデット‥‥』てね。 そしてエピローグの現代のルルド、カンパニーで歌い始められたこの曲のクライマックスで、舞台中央の奥からミミ役の伊東恵里さんが歌いながら現れると、もうメロメロ。 彼女は直前までベルナデットの遺体としてガラスケースに入っていましたからね (^_^;。 ハマナカトオルさんの台本は史実を忠実に辿りながら、笑いと涙を組み合わせたもの。 いつものストレートな作りが、素材と相まって、この作品ではよい方向に出たようです 14歳から35歳までのベルナデットを演じる伊東恵里さんは、ルックスも透き通った声も、ベルナデットにぴったり。 ミュージカル座ファンクラブの会報によれば、伊東恵里さんは前回の公演後、洗礼を受けクリスチャンになられたそうで、彼女の人生を変えた作品との出会いといえましょう。 ミュージカル座の他のキャストも、公演毎にレベルを上げているようです。。 初演の六行会ホールに較べ広い舞台なのですが、その舞台に負けない大人数でしたね。 ◇ 《ルルドの奇跡》の基礎知識 会場で売られていた『ベルナデッタ/聖母を見た聖女』(ルネ・ローランタン/ドン・ボスコ社/1300円)から、ミュージカルに取り上げられた史実を辿ってみましょう。 1858年2月11日、ピレネー山脈の麓ルルドの街に住む貧しい娘ベルナデット(14歳)は、マッサビエルの洞窟で風の音とともに洞窟の中に白い着物を着た婦人を見た。 2月14日、彼女は再び洞窟でその婦人を見た。 この時には、もうベルナデットの周りでこの出来事は評判となっており、友達がついてきたが、その婦人を見ることが出来たのは彼女だけだった。 2月16日、ベルナデットはこの事実に興味を持ったお金持ちのミエ夫人、裁縫人のアントワネットと共に洞窟を訪れる。 そしてこの日ベルナデットは『15日間通うように』との言葉を聞く。 この言葉に従い、2月18日から3月4日まで、彼女は洞窟に通う。 見物人は徐々に多くなる。 2月24日、8回目の出現で、『罪人のために償いの心を持って地面に接吻しなさい』との指示を受け、地面に接吻する。 2月25日、300人以上の見物人の前で、ベルナデットは指示に従い泉を掘り、泥水を飲み、ネコノメ草を食べた。 泉の水は量を増し、泥水から清い水に変わった。 この泉の水を目に当てた病人の目が治った。 3月1日、カトリーヌ・ラタピという妊婦が、曲がっていた指を泉にひたすと、指が治った。 3月2日、1650人見物人の前でベルナデットは『行列をするように、聖堂を造るように』という指示を受け、司祭に伝える。 3月4日、15日間の最後の日には8千人から2万人の人が集まった。 3月25日、洞窟を訪れたベルナデットは『ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・カウンセプシウ(私は無原罪のやどりである)』という言葉を聞く。 『無原罪のやどり』とは聖母マリアのこと。 ベルナデットはピレネー地方の方言しか話せず、字は書けなかった。 7月16日、この日がベルナデットが聖母マリアを見た最後の日となった。 聖母マリアがベルナデットの前に現れたのは、全部で18回なのかな? 聖母マリアの指示で掘った泉から湧き出る水は病人を治し、人々が泉へそしてベルナデットのもとへ押しかけた。 その生活に疲れたベルナデットは22歳のときにフランス中部ヌヴェールにあるサンジルダール修道院に入る。 彼女は生来からだが弱く、1879年4月16日、35歳の若さで死亡する。 死後30年経って掘り起こされた彼女の遺体は腐敗しておらず、法王ピオ10世によって聖者の列に加えられる。 ベルナデットの遺体は今でもサンジルダール修道院に、薄いロウで覆われた美しい姿のまま横たわっている。 |