《エリザベート》 コロセウム・テアター(エッセン) 2001年8月12日(日)7:00OM |
僕はウィーンミュージカル《エリザベート》が大好きなんですが、楽しみにしていた日本公演は小池修一郎改竄により、見るに耐えない代物(僕にとって)になってしまいました。 『それならドイツ公演に行くしかない』ということで、8月12日(日)エッセンに向かい飛び立ちました。 名古屋発 10:05 → フランクフルト着 15:10 フランクフルト発 16:10 → デュッセルドルフ着 16:55 これから行かれる方のために、デュッセルドルフ空港からの交通について書いておきましょう。 空港からはDB(ドイツ鉄道)『デュッセルドルフ空港駅』行きのシャトルバスが出ています。 DBデュッセルドルフ空港駅 18:13 → エッセンHBF(中央駅)18:37 これなら8時の開演まで、余裕を持って行動できます。 HISで予約したホテル『ホリデイ・イン』は《エリザベート》上演中のコロセウム劇場の隣。 タクシーでホテルに向かいます(地下鉄の Berliner Platz 駅 あり)。 7時前にチェックインを済ませ、チケット確保のため劇場へ。 カッサで『チケット1枚』と頼んだところ、PK3(99DM・5500円位)で、1階後ろから3列目の一番端という、まったく僕好みの席を手にすることが出来ました (^_^) 。 ところが、カッサの彼女が『早く早く!』と急かすんだな。 日曜のソワレは7時開演だったのね (@o@) 。 慌てて会場に入ってビックリ。 この劇場は大きい劇場で、1階でも千以上の座席があるでしょうか。 それが超満員なのね (@o@) 。 開演直前の飛び込みで残席があったとは、『全くラッキーだった』と言うしかありません (^_^ゞ。 《エリザベート》コロセウム・テアター(エッセン) 2001年8月12日(日)7:00OM この日のトートはウヴェ・クレーガー。 ウィーンオリジナルのトートですが、紺色の衣装のためか、意外に存在感がない。 やはり白の衣装でなくてはね (^_^;。 歌の迫力も、とても山口祐一郎には及びません。 しかし、ヴィースバーデンの《サンセット大通り》、ウィーンの《モーツアルト!》と逃げられていただけに、ウヴェを初めて見ることが出来た喜びは大きい (^_^) 。 アーノルド・シュワルツェネッガーに似ているような気がしました (^_^;。 エリザベート役は、代役キャストのアンニカ・ブルーンス。 ウィーンオリジナルのピア・ドウヴェスを見ることが出来なかったのは全く残念ですが、写真で見る限りアンニカの方が美人度が高い (^_^) 。 この人自身に不満はありませんでした。 ルイジ・ルケーニ :カルステン・レッパー フランツ・ヨーゼフ:ミヒャエル・レーヴィス ゾフィー皇太后 :ガブリエーレ・ラム ルドルフ皇太子 :イェスパー・ティデン 演出(エディ・ハッベーマ)は、ウィーンスタイルの部分も東宝スタイルの部分もありました。 『我々か彼女か』の部分など、チェス盤に馬を腰に付けた全くのウィーンスタイルで、これはいかにも唐突でした。 音楽的に盛り上がったのは『私は私だけのもの』と『影は長くなる』。 さて、コルフ島の場面ではアキレウス像が出てきましたが、この像はこの時点(1888年11月15日)には、まだ出来ておりません。 アキレイオン莊が完成したのは1891年10月。 『東宝並みにいい加減な時代考証だな』と思って見ていたら、そこにルドルフが現れるじゃありませんか (@o@) ! この時点で僕はプッツンと切れてしまいました。 『コルフ島にルドルフが来るわけがないだろう! これじゃ東宝以下じゃないか!』なんてね。 それからはエッセンの舞台を見ていても、思い出すのはウィーンの舞台ばかり。 『鏡の魔術』とも言うべき『僕があなたの鏡だったら』、すれ違い夫婦の悲しさを単純な装置で見事に表現した『夜のボート』。 天才演出家ハリー・クプファーと普通の演出家エディ・ハッベーマの才能の違いを、いやと言うほど思い知らされました(個人的な感想)。 ラストシーンは、死の接吻でエリザベートは息絶え、トートに抱きあげられます。 そしてトートはエリザベートを抱いたまま舞台奥に進むんですが、最後の瞬間に客席にふり向きます。 その時、エリザベートの手がダラリと落ちて、これはなかなか印象的なアイディアでした。 ということで、ぼくはこのエッセンの舞台に大変失望しました。 というか、クプファーの舞台の呪縛から逃れることが出来ない自分を認識いたしました (^_^;。 僕は世界中どこで《エリザベート》が上演されても、もう行きません。 ウィーンでクプファーの舞台が再演される以外はね。 カーテンコールはスタンディングオベージョンだったことは書いておきましょう。 |