ミュージカル座《ひめゆり》東京芸術劇場中ホール
2002年11月3日(日) 13:30 18:30

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◇ ミュージカル座 《ひめゆり》

 10月20日に開国をテーマとしたミュージカル《太平洋序曲》を見て、2週間後に日米戦争の《ひめゆり》を見るとは、なかなか感慨深いものがありました。

       ミュージカル座《ひめゆり》東京芸術劇場中ホール
       2002年11月3日(日)13:30 18:30
   作曲・編曲・音楽監督/山口e也  作詞・脚本・演出/ハマナカトオル

      キミ :本田美奈子    上原婦長:鈴木ほのか
      滝軍曹:岡 幸二郎   檜山上等兵:石川 禅

 本田美奈子さんといえば思い出すのは《ミス・サイゴン》。
 キムとキミってね (^_^;。
 そういえばエレンの鈴木さんもいるし、石川さんがクリスで岡さんがトゥイかな。
 トゥイが拳銃を撃つのは逆か (^_^;?
 「ブイ・ドイ」もあったし、何より一幕のフィナーレ (@o@) 。
 プログラムを読んでみると、ハマナカさんが《ミス・サイゴン》を見たのが《ひめゆり》の原点になっているようですね。

 ハマナカさんの台本は同じようなエピソードの繰り返しが多く、人間が類型的。
 特に滝軍曹(僕は岡さんファン (^_^;)。
 まあ、この程度は許容範囲でしょうか。

 山口さんの音楽(全編歌で作曲したのはこの作品が初めてだったとか)は、美しい部分も多いんですが、締まりがない部分もあったと思います。
 それでも、この作品は《太平洋序曲》より僕の好みです。
 2回見る気がしましたから (^_^) 。

 以下はミュージカルとは直接関係ないんですが、昼の部が終わってから、本屋さんで「ひめゆり学徒隊」関係の本を買って調べてみました。
 僕は調べるのが好きなんです (^_^ゞ。

 このミュージカルが扱っているのは、沖縄師範学校女子部(157名)と県立第一高等女学校(65名)合わせて222名(と職員18名)の「ひめゆり学徒隊」が南風原(はえばる)陸軍病院に従軍看護婦として配置された昭和20年3月23日から、伊原第三外科壕にガス弾が投下された6月19日まで。
 伊原第三外科壕の跡地には「ひめゆりの塔」と「ひめゆり平和祈念資料館」が建っています。

 6月18日の夜更けに、陸軍病院本部から「ひめゆり学徒隊」に解散命令が出されました。
 解散命令とは「お前達をクビにするから、病院(防空壕)から出ていけ」というものです。
 生徒らを米軍の包囲網の中で、投降を許さず、地獄の戦場に放り出したこの解散命令が、学徒隊の犠牲をいっそう悲惨なものにしました。

 伊原第三外科壕では脱出直前にガス弾の投下を浴び、生徒38名、教師4名が死亡しました(生存者2名、ただし資料によって数字に違いがある)。
 第三外科壕には学徒隊の他に陸軍病院の軍医、看護婦、兵士、民間人などおよそ50人がいましたが、総数81名の死亡者が出たのです。

 第一外科壕、第二外科壕にいた生徒達も、逃げる途中で銃撃され、あるいは追い詰められて自決をし、学徒・職員あわせて219名が尊い生命を失いました。

 週刊文春(11月7日号)の小林信彦さんのエッセイ「人生は五十一から」では、「男は○丸をちょん切られた上で奴隷にされ、女はすべて強姦されるというのが、当時の常識だった」と書かれています。

 日本を占領したのがアメリカだったのは幸せなことでした。
 もしソ連に占領されていたら、「非武装中立」などという世迷い事を言うものもいなかったでしょう。

 しかし、アメリカをはじめとするアングロサクソンを怒らせると本当に怖い。
 平気で原爆を落とすんですから。
 僕が舞台で見たものは、数ヶ月後のバクダッドでしょうか。

 翌日、靖国神社にある「遊就館」を訪れました。
 ここは実に充実した戦争記念館だったんですが、「ひめゆり学徒隊」の写真も展示されていました。
 彼女たちは陸軍病院の従軍看護婦でしたからね。