《ヘンゼルとグレーテル》 (2/8) 大津・史跡巡り |
大津駅からタクシーに乗りまして、まずは史跡巡りです。 ◇大津事件記念碑 1891年(明治24年)、時のロシア皇太子ニコライに、津田三蔵巡査が斬りかかった大事件。 その裁判で、大逆罪を要求する松方内閣から、大審院長である児島維謙が司法の独立を守ったことは有名です。
◇琵琶湖疎水 1884年(明治17年)、時の京都府知事北垣国道は水の確保と物資運搬のため、琵琶湖の水を京都まで引く琵琶湖疏水を立案しました。 工事主任は東京工部大学校(現・東京大学工学部)を卒業したばかりの田辺朔郎で、5年の歳月と120万円の巨費を投じ、1890(明治23年)に完成しました。 蹴上(南禅寺のそば)には日本で初めての水力発電所も作られました。 大津でも京都でも疎水沿いに桜が植えられ、桜の名所となっています。 ◇大津城跡 関ヶ原の戦いで、大津城主・京極高次は徳川方に立って西軍と戦いました。 彼は孤立無援で降伏しますが、家康は戦後その功を高く評価し、高次を若狭小浜城主に任じました。 ところが、この有名な大津城跡をタクシーの運転手さんは知らないんですね。 無線でいろいろ聞いてくれたのに、タクシー会社の誰もその場所を知らないらしい。 仕方がないので浜大津の駅付近を探してみたら、湖岸道路沿いに石碑が建っていました。 この辺りは干拓工事のため、昔とは大きく変わっているそうです。
◇膳所城 徳川家康は関ヶ原の戦いの翌年に、藤堂高虎に命じ膳所城を建設しました。 水の上に浮かぶお城だったそうで、「瀬田の唐橋、唐金擬宝珠、水に映るは膳所の城」と歌われたそうです。 僕は藤堂高虎のお城巡りをしたいと思っているのですが、数が多くて大変です。
◇瀬田の唐橋 この橋は壬申の乱の昔から交通の要衝であり、江戸時代は東海道の橋として重要な役割を果たしてきました。 橋のそばの寂れた公園には、三上山のムカデ退治で有名な俵藤太秀郷のかわいい像が建っていました。
◇義仲寺 平家追討のため挙兵した木曽義仲は、京都から平氏を追放しますが、1184年源義経によって討たれました。 享年31歳でした。 義仲寺には彼の墓が建てられています。 松尾芭蕉はたびたび近江を訪れ、無名庵(現在の義仲寺)を宿舎としました。 元禄7年(1694年)10月12碑、旅先の大阪で死亡した芭蕉の亡骸は、遺言により義仲寺に葬られました。 「木曽殿と背中合せの寒さかな」(叉玄)
|