アガーテ・フォン・ジーボルト(渡辺茂 追悼文集)

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  『ブラームス―古典への回帰、その光と翳』(芸術現代社)の著者である渡辺茂先生からは、音楽史跡を巡る先輩として色々アドバイスをいただき、情報交換をさせていただいたものです。

 1998年に先生が70歳でお亡くなりになった際、奥様より『渡辺茂 追悼文集』をお送りいただきました。
 非売品の貴重なものです。

 先日この本を読み返していて、ブラームスとシーボルトについての興味深い記事を見つけました。

 ブラームスの恋人であったアガーテ・フォン・ジーボルトと日本に西洋医学をもたらしたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが姻戚関係にあることはよく知られていますが、僕はその詳しい関係が知りたいと思っていました。

 渡辺先生が紹介された文章は、坂本政明さんがブラームス協会年会報『赤いはりねずみ』第11号(1981年発行)に書かれた文章をなぞっておられるそうです。


 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(1796年~1866年)は、ヴュルツブルクに生まれました。
 ヨーロッパの上流階級はその系図がはっきりとしており、シーボルトの家系もハンス・ケルナーという人の著書『シーボルト父子伝』に系図表が載っているそうです。

 シーボルトの父親には三人の弟がいて、その末弟であるアダム・エリアスの長男がヤーコップ・シーボルト(1801年生まれ)で、1833年にゲッチンゲン大学の産科学教授に就任。

 このヤーコップには2人の娘がいて、長女がジョゼフィーヌ(1834~1907)、そして次女がアガーテ(1835~1907)と記されているそうです。

 ブラームスと恋愛関係にあった頃、アガーテ・フォン・ジーボルトは23歳でブラームスは25歳。

 お似合いの二人かと思うのですが、ハンブルクの貧民街に育ったブラームスにとって、アガーテのような上流階級の令嬢との付き合いには腰が引ける面もあったことでしょう。
  
 
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