メサジュ作曲 《お菊さん》日本初演
2021年5月30日(日)2:00PM 日本橋劇場(能舞台)

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 日本橋オペラ 《お菊さん》日本初演
 2021年 5月30日(日)2:00PM
 日本橋劇場(能舞台)

 コロナ緊急事態宣言の続く中を,定員を減らして公演は行われました。
 現在までに、患者の発生はないそうです。

 1885年(明治18年)フランスの作家ピエール・ロティ(1853~1929)は、フランス海軍士官として一ヶ月ほど長崎に滞在。
 日本人女性のおカネさん(写真あり)との短い結婚生活から、小説「マダム・クリザンテーム(お菊さん)」を発表、世界で大ヒットする。
 19世紀末から20世紀初頭、世界中の人々がこの小説を読んで日本(ジャポニズム)に憧れた。

 この原作に基づき、1893年アンドレ・メサジュ(1853年~1929年)が歌劇「お菊さん」を作曲。
 1893年にパリのルネサンス座で初演。
 歌劇「蝶々夫人」(1904年)の原点と言える作品です。

 今回の公演が日本初演で、「蝶々夫人」ファンの僕としては、観ておきたい作品でした。
        
 指揮:佐々木 修 演出:日本橋オペラ研究会
 ピアノ:居福健太郎  金春流能楽師:山井綱雄

 お菊さん:福田祥子 ピエール(海軍中尉):池本和憲
 イヴ:上田誠司 甲板員:根岸一郎
 勘五郎:飯沼友規 お梅:田辺いづみ サトウ:大倉修平
 お雪:高橋千夏 苺:菊池未来
 他に水兵、日本の民衆、僧侶

 1885年(明治18年)7月8日、午前2時、フランス海軍トリオンファント号の船上。
 海軍中尉のピエールとその弟分の水夫イヴは日本への憧れと恋愛を夢見る。
 ピエールは到着したらすぐに、小柄で黒髪の日本の娘と結婚して、竹と紙でできた小さな家に暮らす計画だ。

 長崎に到着し、集まった芸者から、ピエールはお菊さんを選び、一緒に暮らす。
 彼らは諏訪神社(ロティの石像あり)の祭礼にも出かける。
 
 お菊さんとピエールとの関係はそれほど濃厚なものではなく、むしろ弟分イヴへの嫉妬が印象的でした。
 やがて大砲が鳴り、帰還命令が出て、ピエールとイヴはトリオンファント号で去って行きます。
   お菊さんとロティ(右・たぶん)

 予想していたとおり、あまり面白い舞台ではありませんでした。
 メサジュの曲もそれなりで、あまり印象に残るものではありませんでした。
 《蝶々夫人》関連作品の日本初演をみることができたのは大いに感謝するところですね。
 子供は出てきませんでした(一ヶ月ですからね)。

 《蝶々夫人》のもう一つのルーツはアメリカの弁護士ジョン・ルーサー・ロングの短編小説『蝶々夫人』。
 ロングは、姉のサラ・ジェーン・コレルが日本に滞在した際に聞いた話を基に『蝶々夫人』を書きました。
 この作品もロティの小説「お菊さん」の影響を受けています。

 ロングの小説では、蝶々さんとピンカートンは数年暮らし、
 そしてこの小説をもとに制作されたアメリカの劇作家デーヴィッド・ベラスコの戯曲『蝶々夫人』。
 この戯曲のフィナーレ、で蝶々さんは自害し、ピンカートンは子供もろとも蝶々さんを抱きしめます。
 自害シーンはジャポネスク 《蝶々夫人》のもう一つのルーツはアメリカの弁護士ジョン・ルーサー・ロングの短編小説『蝶々夫人』。
 ロングは、姉のサラ・ジェーン・コレルが日本に滞在した際に聞いた話を基に小説『蝶々夫人』を書きました。

 ロングの小説では蝶々さんピンカートンは数年暮らし、彼が去った後で蝶々さんは出産します。
 やがて妻と戻ってきたピンカートンは、蝶々さんと会わず、大金を渡し(受け取り拒否)た。
 ケートは子供を引き取りたいと表明して帰る。
 蝶々さんは首を切り、翌日ケートが訪れたときには、そこには誰もいなかった。

 そしてこの小説をもとに制作されたアメリカの劇作家デーヴィッド・ベラスコの戯曲『蝶々夫人』。
 この戯曲で蝶々さんは自害し、ピンカートンは子供もろとも蝶々さんを抱きしめます。
 自害シーンはジャポネスクの代表場面として、大受けしたそうです。

 この自害シーンはジョン・ルーサー・ロングの短編小説『蝶々夫人』、ベラスコの戯曲、プッチーニのオペラ《蝶々夫人》から、クロード・ミシェル・シェーンベルク作曲のミュージカル《ミス・サイゴン》へと引き継がれているわけです。