戸田極子とブラームス/大垣市
 
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 本日聴いた北川千紗さんも辻彩奈さんも、大垣の教室(スズキメソッド)で学ばれたそうです。

 大垣は「関ヶ原の合戦」で、西軍の本拠となりました。
 また、松尾芭蕉の「奥の細道」の結びの地となっています。
 今回は「大垣市とブラームス」について調べてみます。

 戸田極子(とだきわこ、1859~1936)は岩倉具視の娘(資料によって長女、次女、三女)で、旧大垣藩主戸田氏共(とだうじたか)に嫁ぎました。
 極子は生来の美貌と華やかさで、陸奥亮子(1856~1900)と並び、鹿鳴館の華と呼ばれました。

 明治の元勲伊藤博文は無類の女好きでした。
 明治20年4月20日に、伊藤博文夫妻主催の「仮面舞踏会」があり、この時伊藤は極子を庭に誘い出し関係を持とうとしたようです。

 この事件は新聞種になり、伊藤が乱暴したとか、馬車の中で事に及んだとか、極子が裸足で逃げ出したとか、マスコミが面白おかしく書き立てました。
 後に極子は孫娘の問いに、これを否定したそうです。
 ただ、事件後、戸田氏共がオーストラリア全権大使に栄達するなど異例の出世を遂げたため、伊藤は権力を行使して事件の解決を図った、と言われるようになりました。。
 
ウィーンに六段の調(ブラームスと戸田伯爵極子夫人)


 オーストリアの全権公使としてウィーンに赴任した夫に従った極子は山田流筝曲をたしなみ、ウィーン公使館でのパーティーで、琴の演奏を披露しました(1887年から1890年頃)。
 その席の客の一人だったのが作曲家のヨハネス・ブラームス(1833~1897)で、東洋の珍しい調べに耳を傾けていたそうです。
 また、ブラームスの遺品の中から『日本の民族音楽』というウィーンで発行された楽譜が発見され(楽友協会にあるらしい)、ブラームスはこれを校正しようと、楽譜にメモや音符の訂正を残しているそうです。
 昭和60年、関係者の研究により、ブラームスが実際に極子の演奏を聴いたことが発表されました。

 大垣市の栄誉市民であり、文化勲章受章者である日本画家守屋多々志は、歴史画の第一人者として活躍しました。
 大垣市守屋多々志美術館は、守屋画伯の作品や資料を紹介する美術館として、平成13年7月28日に開館しました。

 守屋画伯が平成4年第77回院展に出品した作品に「ウィーンに六段の調(ブラームスと戸田伯爵極子夫人)」があり、極子の演奏に耳を傾けるブラームスが描かれています。
 海外交流をテーマにした円熟期の代表作で、この大きな屏風絵は守屋多々志画伯が描いた美しい色を後世まで長く伝えるため、1年に1~2回、期間限定で展示されます。