ブラームス/幻のピアノ録音
97年8月31日放映

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 ブラームス/幻のピアノ録音 97年8月31日放映

 昨日のTV番組『過ぎし日のブラームス/没後100年にして聴く幻のピアノ録音』は期待以上の素晴らしいドキュメンタリーでした。
 下調べのために、何年かかった事やら。
 関係者の努力に、敬服せずにはいられません。

 僕はブラームスに興味があって、あちこちゆかりの地を訪ねたりしているものですから、面白くて面白くて。
 御覧になった方も多いと思いますが、自分自身のためにまとめてみました。

 ヨハネス・ブラームス( 1833 〜 1897 )が録音した唯一の蝋管が旧東ドイツのベルリン国立図書館に収蔵されている。
 音が入った溝はほとんど無くなっており、大きな亀裂が入っている。
 北海道大学電子科学研究所は、レーザー光線を使った蝋管再生装置を開発し、魚住助教授らがベルリンで、ブラームスの蝋管の再生に挑むことになった。

 ここで出てきたのが、1935年、ボーゼ博士による再生のテープ。
 それから、1938年、シェーネマン教授による再生のSP。
 雑音は多いが、まだこの頃には、蝋管に亀裂はなかったわけだ。
 北海道大学のレーザーによる再生は、ほとんどが雑音で、ピアノの音を聞き取ることは大変難しい。

 さて、この蝋管の容器には『1889年12月2日、エジソンのヨーロッパ代理人、テオ・ワンゲマンによって録音』と書かれている。
 だからブラームス56才の時の録音かな?
 添付文書があって、『リヒアルト・フェリンガー家で録音。1937年6月3日、ロベルト・フェリンガー(リヒアルトの次男)によって図書館に寄贈』と書かれている。

 ジーメンス商会の支配人であったリヒアルトとマリアのフェリンガー夫妻の名前は、ブラームスの交響曲第4番の解説に必ず出てくる。
 ブラームスは彼らの誘いで1884年と85年の夏をシュタイヤーマルク州のミュルツツーシュラークで過ごし、交響曲第4番を作曲した。
 この家は今はブラームス博物館になっていて、僕は、僕が日本人来館者第1号だと思ってるんだが‥‥。

 まあ、それはさておき、マリアが重要なのは、彼女は写真が好きで、ブラームスの写真をいっぱい撮っていること。
 彼女のおかげで、我々は晩年のブラームスの写真を見ることが出来るわけだ。

 さてさて、驚いたことに、この録音についてはリヒアルトの長男のリヒアルトの『ブラームスの響き』という本に詳しく書かれているんだそうだ。

 ここで出てきたのが、リヒアルト(子)の孫の音楽学者、イモゲン・フェリンガー(女性)さん。
 この人が『祖父から聞いた』といって、何でも知っているんだ。

 この日ブラームスは大変興奮して準備が待ちきれず、『マリア夫人が演奏します』と冗談を言って、《ハンガリー舞曲第1番》を弾き始めてしまった。
 あわてた録音技師のワンゲマンが『1889年12月。所はフェリンガー博士宅。ブラームス博士、ヨハネス・ブラームス博士の演奏』と叫び、そのために最初の12小節は録音されていない。

 質問  『蝋管の後半は何も聞こえませんが、ブラームスはもう1曲演奏したそうですが、
      それはどの曲ですか?』
 イモゲン『ヨーゼフ・シュトラウスの《とんぼ》です』

 質問  『本当はブラームスは他の曲を録音するはずだったそうですね?』
 イモゲン『2つのラプソディ・作品79の第2曲です』
 
 なんて、イモゲンさんは本当に何でも知っているんだ (@o@)。
 ロベルト(次男)が蝋管を図書館へ寄贈したのは、ナチスの強い圧力があったからなんだそうだ。
 『私たちが持っていれば、こんな無惨なことにはならなかったのに』というイモゲンさんの言葉であった。

 ベルリンにたくさん残された蝋管の中には、川上音二郎の三味線や貞奴の琴の演奏があった。

 また、ブラームスの遺品の中から『日本の民族音楽』というウィーンで発行され
た楽譜があって、ブラームスはこれを校正しようと、楽譜にメモや音符の訂正を残
している。
 彼が琴の実演を聴いたのは、当時のオーストリア公使戸田伯爵の妻、極子(きわこ・岩倉具視の長女・山田流の名手)から。
 ちなみに、戸田伯爵は元大垣城主で、僕は元大垣市民 (^_^) 。

 で、番組の最後は、コンピュータ処理されたブラームスの演奏の、自動ピアノ(っていうの?)による演奏。
 これは、緩急自在に弾き流した、気楽な感じの演奏であった。

 ブラームスゆかりの地もたくさん出てきて、また行きたいところが増えてしまった (^_^;。
 
 
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