ミュルツツーシュラーク紀行(1991年8月6日)
ブラームス 交響曲第4番

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 8時28分、グラーツ行きのインターシティ「ヨハン=ネストロイ号」はウィーン南駅を出発した。
 目指すはシュタイヤーマルク州のミュルツツーシュラーク。
 ブラームスが1884年と1885年の夏に「交響曲第4番」を作曲するために滞在した家が、この春「ブラームス記念館」として開館したのだ。

 ウィーンからずっと続く平原もシュタイヤーマルク州に入ると山が間近に迫るようになる。
 9時51分、ウィーンから約1時間半でミュルツツーシュラーク着。
 汽車の時間は正確だ。
 ミュルツツーシュラークはインターシティも止まる、重要な街のようだ。

 駅からタクシーに乗り、5分くらいで「ブラームス記念館」に到着した。
 記念館は避暑客相手のカフェやみやげもの店が並ぶヴィーナー通りの一番奥に建っていた。
 この春に開館したばかりとあって、グレーの外装も新しいピカピカの二階建ての建物だ。
 前には「ロマンチックな乙女」という銅像が建っていた。

 中央のゲートをくぐると左側が入り口。
 階段を上ると受付があり、金髪でスマートな受付嬢がいた。
 入場料を払うとパンフレットをくれたが、ドイツ語ばかりでわけが分からない。
 「英語のパンフレットがほしい」
 「英語のパンフレットはない」
 「中の説明もすべてドイツ語か?」
 「その通りである」
 受付嬢は英語を話し、愛想はいい。
 しかし「分からないことは聞いてくれ」と言われても、全部分からないので困ってしまうんだな (^_^;。

 

 記念館の中には当時の街の様子、ブラームスや彼をこの街に誘ったフェリンガー夫妻たちの写真が展示されている。
 フェリンガー夫人はアマチュアカメラマンとして有名で、ブラームスの貴重な写真を多く撮影している。
 他にいる見学客はおばあさん一人だ。
 ドイツ語辞典を出して説明を読み始めると、「ドコカラキマシタ?」とおばあさんが英語で話しかけて来るではないか。
 
 「おお、おばあさん。あなたは英語を話せるのですか?」
 「マア、チョットナラネ」ということで、以後はこのミュルツツーシュラーク近郊に住むおばあさんの説明が付くようになり、たいへん楽になった。
 とはいっても、こちらの英語はドイツ語よりはいく分ましという程度。

 中はいくつかの部屋に別れていて、ある部屋にはバイオリンが展示されていた。
 「これはヨアヒムが弾いたような、由緒あるバイオリンか?」
 「それはただの古いバイオリンである」
 何でもないバイオリンを並べるようでは展示品不足であろうか。
 
 また、ある部屋には汽車の模型が展示されており、スイッチを押すとレールの上をくるくる回る。
 「この汽車はどういうことか?」
 「汽車はブラームスにとって大変重要であった。汽車のおかげで彼はヨーロッパ各地に演奏旅行に行ったり、毎夏避暑に出かけることが出来た」
 なるほど、ブラームスはこの山の中まで汽車でやって来たわけだ。

 一番奥の部屋には小さいホールになっていて、ステージの上に古いピアノが置かれていた。
 前にはイスが並べられ、コンサートも開けるようだ。
 「このピアノはブラームスのものか?」
 「いやそれは彼のピアノではない」
 「それではさっきのバイオリンと同じことか?」
 「このピアノはブラームスのものではないが、彼の友人のものである。ブラームスはミュルツツーシュラークに来たときはいつもこのピアノを弾いていた」
 「おお、それはすごいピアノではないか!」
 今でも使われているというので少し触ってみたが、現代のピアノと同じような澄んだ音がした。

 受付嬢によれば、裏山に「ブラームスの散歩道」があるそうだ。
 「散歩道にはイーゲルの案内板が立っている」
 「イーゲルとは何か?」
 ここで彼女はメモ用紙を出し、ネズミのような絵を描き始めた。
 「あなたはウィーンにあるローテン・イーゲルを知っているか?」
 「それはブラームスが通ったレストラン(赤いハリネズミ)の名前か?それならイーゲルとはネズミの一種か?」
 「そうそう」と、ここで大笑い。
 「是非その散歩道を歩いてみたい」
 「それが、まだ準備中なのね」。

 記念館を出てから隣の公園でブラームスの胸像を見て、後ろの小高い丘に登ってみた。
 ここからはミュルツツーシュラークの街とその向こうに連なる山々が一望でき、「ブラームスはこの景色を見て、そしてあのピアノを使って交響曲第4番を作曲したのか」と考えると、感慨もひとしおというところだ。

 ミュルツツーシュラークの「ブラームス記念館」は一種の村おこしのようなものかもしれないけれど、ブラームスに寄せる人々の気持ちが嬉しいではないか。
 記念館を出るときに受付嬢に「ミュルツツーシュラークの名前は日本では全く知られていないが、この記念館のために音楽ファンによく知られるようになるであろう」と言ったところ、彼女はたいへん喜んでPR用のチラシをたくさんくれたので、ここで大いに宣伝しておきたい。
  

 
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