《エリザベート》とスイスの旅 1996年8月12日の3
 《マルタン・ゲール》 U

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 《マルタン・ゲール》 1996年8月12日(月)7:45PM
 PRINCE EDWARD THEATER

 Arnaud du Thil :STEVEN HOUGHTON
 Bertrande de Rols:JULIETTE CATON
 Guillaume:JEROME PRADON
 Martin Guerre :MATT RAWLE
 Benoit:MICHAEL MATUS

 場所はピレネー山麓の小村Artigat。
 このミュージカル、人名はフランス語読みだが、この地名はアルティゲートと英語読みしていたと思う。
 フランス語読みならアルティガになるそうだ。

 さて人名だが、フランスに留学していた知人によれば Arnaud du Thil はアルノー・ドゥ・ティル。
 Bertrande de Rols はベルトランド・ドゥ・ロル。 Guillaume はグィローム。
 Martin Guerre はマルタン・ゲール。 Benoit はベノアになるんだそうだ。

 主役のArnaud du Thil は IAIN GLEN の代役。
 Bertrande 役の JULIETTE CATON は《レ・ミゼラブル》のバービカンにおけるオリジナルキャストの、リトル・エポニーヌだったそうだ。

 フルートの分散和音のような音形で幕が開くと、そこでは農民が農作業をしている。
 小道具を持たず、ジェスチャーだけで。
 男は土を耕し、女は種をまく。

 これを見て僕はびっくりしてしまった。
 なんというイマジネーションの欠如であろう!
 ジェスチャーゲームじゃないんだからね。
 《レ・ミゼラブル》のオープニングのイミテーションのようなものだが、受ける印象は全く異なる。

 演出は DECLAN DONNELLAN という、ロイヤロ・ナショナル・シアターのアソシエート・ディレクターだそうだが、この人を起用したのが最大の敗因の一つだろう。
 ニコラス・ハイトナーが演出してくれていたら‥‥
 彼なら、あの《回転木馬》でさえ、ある程度見れるものにしてくれたのに。

 大道具として使われるのは、木枠を組んだ櫓で、これがくっついたり離れたりする。
 そして《レ・ミゼラブル》のような回り舞台。

 次のシーンはマルタンとベルトランドの結婚式。
 ここからはあまり下品なことは書きたくはないが(^_^;、これがこの作品のストーリーなら仕方がないか。

 結婚式から1年後、夫は妻とのSEXを拒否しているようだ。
 妻は『私に触れて、私を愛して』なんて歌っているから(美しい曲)、抱かれたい気は大いにあるようなんだが‥‥
 『私のどこがいけないの?』なんて歌われても、我々観客に分かるわけがないだろう?
 あとで『シー イズ イノセント』なんて歌詞も出てくるから、彼女は1年経ってもヴァージンのままのようだ。
 そうなると、なぜ彼らが結婚したのかも分からなくなる。
 マルタンはもちろん男性なんだが、『男しか愛せない』という傾向はあるようだ。
 彼は抱きつく妻をつき倒し、戦いに出かけてしまう。

 さて、場面は7年後のフランダースの戦場。

 マルタンと戦友のアルノーは仲良くしているみたいだ(^_^;。
 そこに、木の陰から2人の剣を持った男が現れて、マルタンは殺され、アルノーはこの二人に追いかけられて逃げ出す。
 なんだこの学芸会並みのチープな演出は??
 このシーンは、このミュージカルでも最も重要なシーンの一つだろう?

 唖然としたまま舞台転換して、アルティゲート。
 ベルトランデは村人に再婚を勧められるが、耳を貸さない。
 特にグィロームが熱心なようだ。
 困った彼女はカトリックの神父に相談に行くが、神父にも再婚を勧められてしまう(らしい)。
 悩める彼女は、プロテスタントの信者と出会い、彼女もプロテスタント信者となる。

 アルティゲートの村はずれ。
 アルノーはマルタンの死を知らせるために、この村にやってくる。
 彼が村はずれで出会ったのが、ベノア。

 このベノアというのが、びっこでドモリの白痴という、こんな障害者の扱いをしていいのか、というキャラクター。
 彼は LOUISON(ルイソン)という案山子(かかし)をいつも持っている。

 ベノアはやって来たアルノーを見て、マルタンだと思いこんでしまう。
 呼ばれてやってきた村人たちも『マルタンだ、マルタンだ!』と歓迎するので、アルノーは自分が別人であることを言い出せなくなる。
 こんなこと、僕の頭では理解不能だ。

 そこにやって来たのがベルトランデ。
 彼女は彼がマルタンではないことに気付く。
 村人たちは去り、舞台にはアルノーとベルトランデが残される。
 ここで愛の二重唱。
 この曲はいい曲だが‥‥

 アルノーは『私に行けと言ってくれ!』と歌うが、彼女は『まあそんなことを言わないで』なんて言っているのかな?
 一目惚れということで納得しようとも思ったが、7年間も操を守った彼女が、すぐ男を受け入れるなんて、やはりおかしい。
 アルノーはマルタンとして、ベルトランデと暮らすようになり、彼女の勧めでプロテスタントに入信する。
 彼らは幸せに暮らし、やがて彼女は妊娠する(^_^)。
 そこに、死んだと思われていたマルタンが帰ってくる。
 そして、アルノーは詐欺師として逮捕されてしまう。

 これで第一幕の終わりとなる。
 面白い?
 休憩時間には会場内で売られているアイスクリーム(これが懐かしかった)を食べる。

 第2幕は法廷のシーン。
 ここでアルノーは『マルタン・ゲール』という歌を歌う。
 これは、今でもメロディーを思い出すことが出来る、力強い曲だ。
 ここでアルノーは『私はマルタン・ゲール』と歌うんだが、これには理由がある。
 第一幕の後半でアルノーはプロテスタントに入信し、洗礼を受けるんだが、その時にクリスチャンネーム(っていうの?)をもらう。
 で、彼が選んだクリスチャンネームがマルタン・ゲール。
 だから『私はマルタン・ゲール』と言うことが出来るわけだ。

 ベルトランドも、何か弁護の歌を歌う。
 そして全員の歌となるが、これは大変迫力のある曲だ。
 しかし舞台の演出は、ただ人をあちこち動かしているだけで、動きに必然性が感じられない。
 結局アルノーは懲役7年の刑となる。

 場面は変わって、グィロームがリーダーとなって、カトリックの村人はプロテスタントを殺す練習をする。
 彼らはナイフを持ったポーズで(実際には何も持っていない)、人を刺す格好をしながら踊るわけだ。
 これではジェスチャーゲームで、とことん情けなかった。
 ルイソン(ベノアの案山子)が燃やされたりして。

 次のシーンは、アルノーが入れられている牢屋。
 ベルトランドがやって来て、『あなたの帰りを待っているわ』と歌う。
 そこへマルタンがやって来て、いろいろ恨みつらみを言っているようだ。
 そこへ、カトリックの集団が虐殺に襲ってくる。
 するとマルタンは牢屋の鍵を開けて、アルノー・ベルトランド・マルタンの3人は逃げ出す。
 なぜ、マルタンが牢屋の鍵を持っているんだろう?
 彼は看守になったのか?

 次は虐殺シーンで、大きい木組の櫓が火で燃え上がり(赤い照明ね)、クルクル回り舞台が回る中を、3人は逃げる。
 プロテスタントが刺し殺されたりもする。
 この部分の音楽は迫力があるが、舞台で演じられているものは、明らかに《レ・ミゼラブル》のバリケードシーン、《ミス・サイゴン》のサイゴン陥落シーンのイミテーション(しかも、はるかに劣る)に思われる。
 無理矢理作り上げたクライマックス。

 このどさくさの中で、アルノーはグィロームに刺し殺され、グィロームはマルタンに刺し殺される。
 これは、アッという間に終わってしまい、何のドラマにもなっていない。

 次のシーンで、村は何事も無かったかのように、平和になっている。
 ベルトランドは生まれた子供を抱き、馬車に乗りこの村を出ていく。
 出ていって生活はどうするんだ? 《レ・ミゼラブル》のファンティーヌになっちゃうぞ!
 そして残った村人たちは、マルタンを中心に、また最初の農作業を始め、幕が下りる。
 このフルートのメロディーも、耳に残っている。

 僕が思うに、このミュージカルは、もともと心理的サスペンスとでも言うべき原作を、スペクタクル大作にするため無理に宗教戦争を絡めてしまったため、訳の分からないことが多すぎる。
 まあ、もともとの話が面白くないんだろう、とは思うんだけれど。
 また演出が、大変にインスピレーションに欠けたもので、そのために大変損をしているとも思う。
 音楽はなかなか充実した曲が多かったので、もう一度、ブーブリルとシェーンベルグの初期に形に戻し、演出家を替えて、もう少し小さい劇場で再アタックしてみてはどうだろうか?
 

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