《エリザベート》とスイスの旅 1996年8月16日の1
ワグナー博物館 『ジークフリート牧歌』(トリープシェン)

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 8月16日はウィーンからスイスへ移動する日。7:00起床。
 7:30朝食。 食堂は昨日の混雑がうそのように空いていた。

 9:00のエアバスで、ウィーン西駅から空港へ。
 9:30シュヴェヒャート空港到着。
 11:00飛行機に搭乗。 11:25出発。
 ボーディングパスはオーストリア航空だが、実際の飛行機はスイスエアだった。

 12:45チューリッヒ空港到着。
 なかなか荷物が出てこないので心配したが、13:00にはバスに乗った。
 今日の目的はルツェルンのワグナー博物館なので、14:01チューリッヒ中央駅発の汽車に乗り込む。
 駅員はルツェルンを『ルセルン』と言っているような気がした。
 14:50ルツェルン着。
 駅前には湖が広がる。

 さっそくバスで、トリープシェンのワグナー博物館に向かう。
 10分位で WARTEGG という停留所でバスを降りると、『WAGNER MUSEUM』と書かれた矢印が見える。
 その矢印に従って行くと、スケートボードをしている少年たちがいた。
 僕はワーグナーの聖地に向かう巡礼者のような神聖な気持ちなのに、途中でスケボーをしているとは!
 憤慨する(^_^;。

 そこから坂を上ると、木立の中に3階建の建物が見えてくる。
 この建物でワグナーは《ニュルンベルグのマイスタージンガー》《ジークフリート》《神々の黄昏》を作曲したのだ。

 入口の左側に木製の階段がある。
 僕が本当に見たかったのはこの階段。

 1870年12月25日、ワグナー(57才)の妻コジマは音楽の音で目を覚ました。
 この日は彼女の33才の誕生日だった。
 ワグナーは彼女の誕生日のプレゼントとして、小さな管弦楽曲を書き、はハンス・リヒターを中心とする13人の奏者によって、この階段で演奏されたのだ。

 この日がコジマにとって、人生最良の日ではなかっただろうか。
 この曲は後に息子ジークフリート(初演時 1歳6ヶ月)の名を取って《ジークフリート牧歌》と名付けられた。

 初演の演奏人数についてはジョン・カルーショーの『ニーベルンクの指環』 には13人と書かれている。
 管楽器は8人だから、弦楽器が各パート一人だと5人で、合計すれば13人になるわけだな。

 いつかはこの目で見たいと憧れていた階段は、けっこう普通の階段だった。
 まあいいか(^_^;。
 《ジークフリート牧歌》には譜めくりがあるので、譜面台は必要だったと思うんだが、こんな狭い階段に立てることが出来たのだろうか?

 建物の中は博物館として整備されてしまって、昔を偲ばせるものはピアノくらい。
 窓からは湖の向こうに、穏やかな姿のリギ山が見える。

ワーグナー博物館 窓から見たリギ山

 室内にはいろいろな著名人からの手紙も展示されていたが、ひときわ目を引いたのが、ルードウィッヒ2世の肉太の手紙。
 彼自身が書いたのか、それとも書記に書かせたのか?

 建物を出て、湖畔に向かう。
 湖畔からは丘の上に博物館が見える。
 よくワグナー関係の本で見る景色だ。
 日光浴をしている人多し。
 若い女の子と話をして、『日本からあの建物を見るために、ルツェルンにやって来た』と言ったら、『ウッソー!』と笑われてしまった。

 建物の左後ろに、ゴツゴツとした山容のピラトゥス山が見える。
 リギとかピラトゥスとか、山を確認するのは、あちこち走って、結構苦労した。
 どうして僕はこんなに一生懸命、山の名前に執着しているのだろう?
 考えてみるに、昔偉大な作曲家が見たものを自分の目で見て、それが何だったかを理解することに、僕は特に興味を持っているようだ。

 そこからは船で、中央駅まで戻った。
 


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