《エリザベート》とスイスの旅 1996年8月17日の3
ヴェーゼンドンク邸・オペラ座(チューリッヒ)

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 トゥーンからベルン経由でチューリッヒに到着したのは17:57だったが、僕の音楽の旅はまだ終らない。
 まずはホテルにチェックイン。
 HOTEL SOFITEL は中央駅に近いホテルで、部屋もフロントの対応も満足のいくものだった。

 さっそくタクシーに乗り込み、ヴェーゼンドンク邸に向かう。
 ヴェーゼンドンク邸は、今ではリートベルク博物館になっている。
 湖を挟んで、オペラ座の向かい側になるのかな。

 タクシーを待たせて細い道を歩くと、いかにも博物館にふさわしい建物があった。
 前は広大な庭園になっていて、これが個人の持ち物とは‥‥。
 『ヴェーゼンドンクって、お金持ちだったんだ!』と実感する。

 オットー・ヴェーゼンドンクの妻 マティルデとワグナーの不倫関係は、《トリスタンとイゾルデ》の成立と深くかかわっている(と本に書かれている)。
 ワグナーが夫妻から与えられた『アジーレ(隠れ家)』も見てみたかったが、もう夕方で、ありかを尋ねようにも人がいない。

 続いて、ワグナーが《ニーベルングの指環》を作曲した、エッシャーハウスに向かう。
 ところがこれが見つからない。
 前にも書いたように、僕の教科書は福原信夫さんの『ヨーロッパ音楽旅行案内』。
 ところが『ツェルト通りというのが、地図を見てもない』と運転手が言うんだね。
 それではお手上げだ。 どうしようもない。
 エッシャーハウスを訪れることが出来たのは翌1997年4月になってから。

 『出来るだけのことはやった』と諦めて、オペラ座の前を通り、チューリッヒ湖畔まで歩く。
 ケー橋からヨットが浮かぶ美しい湖と左手にオペラ座を眺め、しみじみと旅の終わりの感傷に浸る。
 夏の夕方は寂しい。

オペラ座 チューリッヒ湖


 ペスタロッチの像の写真を撮って、夕食はツォイクハウスケラーでゲシュネッツェルテス&レシュティ(写真右 → )。
 これで、スイス料理の予定も全てこなした (^_^) 。

 翌18日は帰国の日で、朝は5時起床。
 実は今回の旅行に旅立つに当たって、この日の朝寝坊が一番心配だった(^_^;。
 しかし、目覚まし時計とモーニングコールのおかげで、無事に切り抜けた。

 チューリッヒ空港では離陸時間が1時間の遅れ。
 乗り継ぎのロンドン・ヒースロー空港では放送機器の故障ということで、3時間くらい、機内で待たされた。
 『放送無しでもいいから、早く出発して欲しい』という声が多かった。
 この飛行機は、月曜日の朝7時頃、関空に到着する予定なので、午前中に仕事を入れていた人もいたようだ。

 これで今回の旅行記はおしまいです。
 航空券とホテルだけの旅にかなり自信が付いたので(^_^)、来年もまた音楽の旅をしてみたいものです。
 さし当たりロンドンで《レント》が始まる頃を狙っているんですが。
 もうじき、《ジーザス・クライスト・スーパースター》も始まりますからね。
 昼はミュージカル、夜はオペラというのが理想ですね (^_^) 。
 


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