ドイツ音楽紀行(30)1997年4月18日(金)
 チューリッヒ・《ワルキューレ》作曲の家

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 午後1時前にチューリッヒに到着。
 駅のコインロッカーにスーツケースを入れて、まずは昼食。
 中央駅構内の『 RO:STI BAR 』は、気軽に入れて、スイスの名物料理 RO:STI を食べることが出来るのでお薦め。
 ゲシュネッツェルテスも食べてみたかったが、今回は季節のお薦めメニュー・『シュパーゲルのホットバターかけ』を選んだ。
 ここのアスパラガスは緑色だったが、適度に歯ごたえがあり、たいへん結構だった。

 市内観光は、先ず1日乗車券を買って、ケーブルカー(POLYBAHN)で丘の上のチューリッヒ大学へ。
 高台から見るチューリッヒの古い町並みは大変美しい。
 ここには医学史博物館があるんだそうで、行ってみたかったんだが、金曜休館とのことで諦める。

 大外科医テオドール・ビルロートはチューリッヒ大学教授時代に、演奏旅行でやって来たブラームスと知り合い、ともにウィーンで活躍するようになる。
 彼もかつてこの景色を眺めたのだ。

 またケーブルカーで下へ降りて電車に乗り、ZELTWEG にある、エッシャーハウスに向かう。
 美術館(KUNSTHAUS)の前から、RO:MISTRASSE と直角に交差して延びている通りがZELTWEG。
 目指すエッシャーハウスは、すぐ左手にあった。
 白い壁の、大きなアパートメントだ。

エッシャーハウス ワーグナーのプレート シュピリのプレート

 ドレスデンの革命騒ぎに加担して逮捕状まで出たワグナーは、ワイマール、パリ経由で1849年(36才)にチューリッヒにやって来た。
 そして、予約演奏会を開くなどの活動を始めた。
 彼は1853年(40才)からこのエッシャーハウスに住んで、《ラインの黄金》《ワルキューレ》の総譜を完成させ、《ジークフリート》《神々の黄昏》の台本を作成した。
 1857年、彼はヴェーゼンドンク夫妻のはからいで『緑ケ丘』の『隠れ家』に移ることになる。

 エッシャーハウス13番の3階の壁には『ワグナーが1853年から57年までこの家に住んだ』というプレートがある。
 同じ建物の9番には《アルプスの少女・ハイジ》の作家ヨハンナ・シュピリが1886年から1901年に死ぬまでこの家に住んだ、というプレートがあった。
 このアパートメントは今見ても大変デラックスな建物で、ワグナーやシュピリが経済的に豊かな暮らしをしていたことが分かった。
 『この建物で、大好きな《ワルキューレ》が作曲されたのか』と思うと、感慨もひとしおだ。
 

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