ドイツ音楽紀行(29)1997年4月18日(金)
ハプスブルク城
 
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 クラシック音楽ファンなら当然ウィーンが好きで、ウィーンが好きならハプスブルグ家に興味があるだろう。
 僕も当然ハプスブルグ好きで、ハプスブルグ家発祥の地、ハプスブルグ城にはぜひ行ってみたいものだと思っていた。
 今回の経験では、ハプスブルグ城に行くのは、予想以上に簡単だった。
 しかし、帰るのがちょっとね‥‥ (^_^;。

 4月18日(金)8:51、チューリッヒ行きの列車に乗りバーゼルを出発。
 9:35 ブルック(BRUGG)に到着。
 駅の荷物預かりにスーツケースを預けて、駅前に出た。
 駅前には小さいバスターミナルがあったが、よく分からなかったので、タクシーに乗ってハプスブルグ城に向かった。
 10分もかからずにお城に到着。 18.90 SF(1890円)。
 以前から憧れていたハプスブルグ城は丘の上に建っていた。


 お城の前にあるテラスからは、遠くまで平野や川が見渡せる。
 スイス・アアルガウに建つこの城は、10世紀半ばから11世紀にかけて築かれた。
 1273年、神聖ローマ帝国の初代皇帝に選ばれたルドルフ1世は、1276年、ボヘミアのオトカール王を倒し、東に領土を広げた。
 ルドルフの子供、アルブレヒトの時代になって、スイスのハプスブルグ領ではハプスブルグ家の支配に対する抵抗が盛んになり、1291年に3つの州が独立を宣言する。
 有名なウィリアム・テルの物語はこの時代のこと。
 そのため、ハプスブルグ家の支配はウィーンを中心とする東の方に移ることになる。

テラスからの眺望 城 内

 受付も無いので、勝手にドアを開けてお城に入る。
 内部は当然ながら石で組まれた空間で、それほど広くない。
 お城というよりも櫓という感じ。
 木の階段を上るんだが、中にも人はいない。

 城内にはいくつかの部屋があったが、僕が入ると自動感知装置で電気がつく仕組みになっていた (@_@)。
 古いお城に新しいセンサーとは、何というミスマッチ (^_^;。
 しかし、ルドルフ1世など、千年近く前の人が住んでいた部屋に、僕一人でいるのは、なかなか不気味な経験ではあった。
 ハプスブルグ家に関する資料が掲示してある部屋もあった。
 古い石のお城なので窓が小さく、外の見晴らしはあまり良くない。
 レストランがあったので覗いてみたが、テーブルの準備はされていたが、そこにも人影はなかった。
 結局のところ、僕は一人の人にも会うことなくハプスブルグ城から出てきてしまったことになる (^_^;。

 坂を下りて、HABSBURG POST のバス停で時間を調べると、次のバスまでは1時間半 (^_^;。
 仕方がないので周囲を散歩してみた。
 村から外に出て後ろを振り返ると、畑の向こうにハプスブルグ城がそびえていて、なかなか絵になる景色だ。

 バス停に戻ってもまだ1時間以上 (^_^;。
 僕のようにタクシーでお城に行った人の帰りの車を待ってみたが、1台のタクシーも通らなかった。
 つまり、この日の午前中の見学者は僕一人ということだ。
 こんなことで、お城やレストランの維持費が出るのだろうか?
 世界的に有名なお城なんだから、30分に1本はバスが欲しいところだ。

 たまに通る子供が元気に挨拶してくれる。
 『グレ〜〜』と言っているようだが、何語なんだかも分からない (^_^;。
 一応『ハロー』と言っておいたが。

 やがて、SCHERZ DORFPLATZ 行きのバスがやってきた。
 このバスが、SCHERZ DORFPLATZ から折り返しで、ブルック駅行きになって戻ってくるのだ。
 『地球の歩き方』には 、ハプスブルグ城に行くには BIRR 行きのバスに乗る、と書いてあったが、実際は途中のSCHERZ DORFPLATZ 折り返しのバスの方が多いようだ。

 12:09 ブルック発のSバーンでチューリッヒに向かう。
 これは、2階建ての最新型車両だった。
 ドイツでは鉄道が網の目のように発達していて、特にこのSバーンというのはトーマスクックの時刻表にも載ってないのに、すごく本数が多い。
 午後1時前にチューリッヒに到着した。

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