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◇ 中央墓地 本日はこのHPのコンテンツを充実させるため、お墓をあちこち訪ねる予定です。 まずは有名な中央墓地です。 中央墓地へは地下鉄U3号線の終点 Simmering から路面電車に乗り換えます。 そこから中央墓地(Zentralfriedhof) 第2門(Zweite Tor) まではすぐ(2駅くらい)です。 毎日ウィーンは寒い日が続き、雪が心配でした。 雪に埋もれたお墓の写真では、誰のお墓か分かりませんからね。 しかし、雪はちらほらしたものの、お墓には積もっておらず、ちゃんと写真が撮れてホッとしました。
まずは今回の旅行の目的、大外科医ビルロートのお墓です。 第2門から正面のカール・ルェーガー教会に向かって歩くと、右側にビルロートのお墓がありました。 場所についてはオーストリア政府観光局に問い合わせたところ、丁寧に教えていただき、感謝しております。 斜め向かいは有名な画家、ハンス・マカルトでした。
ビルロートは1887年(58歳)に、肺炎のために危篤状態となりました。 そして肺炎からは快復したものの、心不全が残り、強心剤のジギタリスが手放せない状態となりました。 この頃からブラームスとの関係もぎくしゃくしたものとなってきます。 1894年、体調を崩したビルロートは、アドリア海に面したアパツィア(現ボスニア)で療養を続けました。 彼は人生の最後を間近に、民謡についての研究をまとめようとしていました。 そして、ブラームスに参考意見を求めたのですが、ブラームスの返事はビルロートを憤激させるものでした。 ビルロート夫人はこの仕打ちについてブラームスを許さず、ブラームスはビルロートの葬儀への参加を拒否されたとも書かれています。 ビルロートは1894年2月6日、アパツィアで死亡しました。 遺体はウィーンに送られ、2月9日にエヴァンゲリスト教会で盛大な葬儀が行われ、この場所に埋葬されました。 |