ウィーン紀行(34) 04.1.2(金)
ハイリゲンシュタット 遺書の家

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◇ ハイリゲンシュタット

 中央墓地から地下鉄ハイリゲンシュタット駅に移動し、昼食にSUSHIを食べてから、タクシーでハイリゲンシュタットにベートーベンの史跡を訪ねます。
 まずはプファールプラッツの家。
 ベートーベンは1817年にこの家に住みました。
 手前に停まっているのが、利用したタクシーです。

SUSHI プファールプラッツの家


◇ ベートーベン 遺書の家

 プファールプラッツからプロブスガッセを行くと「ハイリゲンシュタット遺書の家」があります。
 新年だというのに開館していたのはラッキーでした。
 観光施設はこうでなくてはね (^_^) 。

 1802年、耳が聞こえにくくなったベートーベンは治療のためにハイリゲンシュタットに滞在しました。
 温泉療法も効果が無く自殺を考えたベートーベンは、10月6日と10日に弟のカールとヨハンに宛てて有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」を書きました。

 この家には痛烈な思い出があります。
 かつてこの家を訪ねたとき、係のおじさんがやって来て「この窓からご覧なさい、あそこに教会が見えるでしょう? ベートーベンはあの教会の鐘の音が聞こえずに、自分の耳が悪いことに気づいたんですよ」と言うんです。
 その時僕は「自分がベートーベンと同じ場所に立ち、ベートーベンと同じ窓から、ベートーベンと同じ教会を見ている」ことに異様に感動したんですね。
 この感動が「音楽史跡の旅」の始まりなんです。

 しかし、「ウィーン完全ガイド」(長島喜一郎)によれば、最近の研究ではこの家は1807年以降に建てられたんだそうです。
 僕の感動はどうなってしまうのでしょう (^_^;?

遺書の家 窓から見た教会
道路に面した家 室内の展示


◇ ハイリゲンシュタット散策

 それから「ベートーベンの散歩道」。
 雪のために、タクシーはあまり奥まで入れません。
 散歩道の横を流れている川が交響曲第6番『田園』第2楽章の川だというんですが、これほどの角度があっては、あのゆったりとした音楽とは合わないでしょう。

 それからベートーベンが1808年の夏にグリルパルツァーと住み、『田園』を作曲したとされている家。
 雪のために廻れない史跡がいくつかありましたが、何とも致し方ありません。

『田園』の小川? 田園の家


 そして『アインシュタインの家』。
 プレートには「アルベルト・アインシュタイン(1879年~1955年)は1927年から31年にかけてこの家に住んだ」と書かれていました。
 ノーベル物理学賞を受賞したのは1921年。
 ナチスによるユダヤ人迫害から逃れるため、アメリカ合衆国に亡命したのは1932年です。

アインシュタインの家 壁のプレート

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