ウィーン紀行(35) 04.1.2(金)
グリンツィン墓地  マーラー夫妻の墓

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◇ グリンツィン墓地  マーラー夫妻の墓

 中央墓地の次は聖マルクス墓地にモーツアルトのお墓を訪ねる予定だったのですが、あまりの寒さに忘れてしまいました (^_^;。
 HPのコンテンツが一つ足りないわけで、残念です。
 昔の写真を探したんですが、お墓の隣に若い頃の自分が立っているのでは、とても公開できません (^_^ゞ。
 ウィーンにはまた行く機会もあるでしょうから、ベートーベンとシューベルトの旧墓とともに、次回の宿題に残しておきましょう。

※モーツァルトのお墓は2008年8月に訪れることが出来ました。

 さて、ベートーベン巡りを終え、グリンツィン墓地にマーラー夫妻のお墓を訪ねます。
 グリンツィン墓地は高台にあるため、雪が積もっていました。
 入り口に案内掲示がしてあるので、お墓を探すことはそれほど難しくはないでしょう。

グリンツィン墓地入り口・案内板 グスタフ・マーラー
グスタフ・マーラー アルマ・マーラー&マノン・グロピウス


 作曲家グスタフ・マーラーは1911年5月18日に死亡しました。50歳でした。
 「私の墓を訪ねてくる人なら、私が何者だったか知っているはずだし、そうでない連中にそれを知ってもらう必要はない」というマーラーの考えで、墓石には「GUSTAV MAHLER」という名前だけが刻まれています。

 マーラーが死亡したとき妻アルマは31歳。
 4年後(1915年)に、バウハウス運動の提唱者である建築家ワルター・グロピウスと結婚。
 しかし1918年に離婚。
 その翌年にプラハ出身の作家で詩人のフランツ・ヴェルフェルと結婚。
 彼女は恋多き女であり、グスタフ・クリムト、ツェムリンスキー、オスカー・ココシュカなどが相手としてあげられています。
 アルマをモデルとしたココシュカの大作「風の花嫁・DIE WINDSBRAUT」はバーゼルで見ました。

 ヴェルフェルがユダヤ人であったため、ヒトラーに追われた夫妻はフランスからスペイン、ポルトガルと必死の逃亡をし、アメリカに亡命します。
 そして、亡命ユダヤ人の多かったカリフォルニアのビバリーヒルズに住みました。
 ヴェルフェルの死後、アルマはニューヨークに移り、1964年12月11日に85歳で波瀾万丈の人生を終えました。

 アルマ・マーラー=ヴェルフェルのお墓は、夫の墓に背中を向けています。
 アルマの墓の前にある娘マノン・グロピウス(天使のような少女だったそうですが、19歳で小児麻痺により死亡)の墓は雪に埋もれていました。
 アルバン・ベルクがマノンを悼んでヴァイオリン協奏曲を書いたことはよく知られています。

 グリンツィン墓地には、マーラーの妹ユスティーネと、その夫アルノルト・ロゼー(ウィーンフィルの歴史的コンサートマスター)の墓もあるはずですが、探す気力がありませんでした (^_^ゞ。
 

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