ドイツ音楽紀行(27)1997年4月17日(木)
バーゼル・美術館
 
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 14:04フライブルク発。
 車中でパスポートのチェックがあった。

 トーマス・クックの時刻表を見ると、バーゼルの前に、BASEL BAD という駅がある。
 僕はこの駅を、バーゼル郊外の温泉なのか、と思っていたんだが、これはバーゼル市内にある、ドイツ(バーデン州)の駅だった。
 で、終点の BASEL SBB は、スイスの駅ね。
 SBB は、スイス・ブンデス・バーンかな?
 僕は終点で降りたんだが、BASEL BAD の方が、ホテルに近かった (^_^) 。

 駅からタクシーで、ホテル・オイローパに向かう。
 ホテル・オイローパはメッセ(見本市会場)のすぐそばで、メッセでは何か催しものが行われていた。
 このホテルの料金は、シングル・35000円 (@_@)ということで、目が飛び出るほど高かったんだが、これはメッセ特別料金だったためであろう。

 バーゼルという街は不思議な街だった。
 地名表記はドイツ語なのに、街の言葉は『メルシー』なんだものな。
 さすが、ドイツ、フランス、スイスの3国の国境にある街だけのことはある。


 僕がバーゼルを訪れたのは、フランクフルトからチューリッヒのルート上にあることが最大の理由なんだが、他にも3つの目的があった。
 その第1が クンストムゼウム(美術館)。
 ちなみに、あとの2つは《オペラ座の怪人》とハプスブルグ城ね。

 クンストムゼウムでは、印象派の特別展が行われており、モネとかゴッホとかいろいろな有名な画家の絵が展示されていた。
 しかし、僕がこの美術館で見たかった絵は2つ。


 その1つは、ラフマニノフに交響詩 《死の島》 作曲のインスピレーションを与えた、アルノルド・ベックリンの同名の絵 「DIE TOTENINSEL」( ← 写真左)。

 バーゼル出身の画家ベックリン(1827〜1901)の絵は2階の回廊に、まとめて展示されていた。
 この絵は墓場のある岩山のような島に、船で棺を運んでいく場面のようだが、色彩が暗くて、僕にはよく分からない絵であった。


 もう1つの絵はオスカー・ココシュカ(1886〜1980)が、当時の恋人アルマ・マーラー(グスタフ・マーラーの未亡人)をモデルにしたという 「風の花嫁・DIE WINDSBRAUT」(写真右 → )。
 この絵はかなり大きくて、異様な迫力がある絵であった。

 ウィーンの画家の絵は、ココシュカはこれ1枚、シーレは小品が1枚、クリムトは見あたらなかった。
 この美術館には他にも 「墓の中のキリスト」(ホルバイン)など、有名な絵が多かった。

 クンストムゼウムのすぐそばにライン川が流れていて、橋の向こうから眺めるバーゼル旧市街は大変に美しかった。
 考えてみれば、今回の旅はデュッセルドルフからバーゼルまで、ライン川をさかのぼる旅でもあった。
 デュッセルドルフでは泥水だったライン川も、上流のこの街では美しい青色をしている。
 そのライン川ともここでお別れ。

 アウグスト・ヴェンツィンガー率いるバーゼル・スコラ・カントルムは古楽器復興の担い手であった。
 バーゼルには古楽器博物館もあるらしいんだが、この日は残念ながら休館日(開いている日が少ないのね ^_^;)であった。

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