前へ ホームページへ プラハ紀行目次へ 次へ |
街の中心ヴァーツラフ広場がある「Muzeum駅(読み方が分からない (^_^ゞ 」から、街外れの「ヴィシェフラード駅」までは、地下鉄C線でたった2駅。 地下鉄駅から所々にある案内標示と観光客らしい人を頼りに歩いていくと、ヴィシェフラード城趾に到着しました。 スメタナの交響詩「我が祖国」は、「ヴィシェフラード」「モルダウ」「シャルカ」「ボヘミアの森と草原から」「タボール」「ブラニーク」という六つの交響詩からできています。 その第1曲目が「ヴィシェフラード(高い城)」です。 7世紀、プラハの繁栄を予言したという伝説の王妃リプシェはこの城に住んだと言われています。 吟遊詩人は廃墟にたたずみ、竪琴を奏で昔の栄光を偲びます。
ヴィシェフラード城趾からは、ゆったりとこちらに向かって流れてくるモルダウ川が望めます。 スメタナの交響詩「我が祖国」の第2曲目は有名な「モルダウ」ですが、その最後の部分で「ヴィシェフラードの主題」が高らかに演奏されます。 ヴィシェフラード城趾は、プラハ市内より川下に当たります。 だから、交響詩「モルダウ」は、プラハ市内を通ったモルダウ川が「ヴィシェフラード」に別れを告げながら、プラハから去っていく場面で終わっているんですね。 このことを、僕はぜひ現地で確認したかったんです。 周囲を見渡すと教会の塔が見えてきたので、その方向に歩いていくと、はたして目指す「聖ペテロ聖パウロ教会」がありました。
教会の前には「プシェミスルとリプシェ像」が建っていました。 かつてはプラハ市街のパラツキー橋にあったのですが、第二次世界大戦で被害を受け、この場所に移されたそうです。 先ほども書いたように、リプシェはプラハの繁栄を予言したという伝説の王妃であり、プシェミスルはその夫です。 19世紀後半、ハプスブルグ家の圧政に苦しむプラハでは民族復興運動が盛んになり、音楽における運動の担い手スメタナは愛国的なオペラ《リプシェ》を作曲しました。
右上の写真に門が見えています。 この門を入ると、スメタナやドヴォルザークの眠っている「ヴィシェフラード墓地」があるのです。 |