プラハ紀行(5) 2004.5.2(日)
ヴィシェフラード墓地

前へ  ホームページへ  プラハ紀行目次へ  次へ
 

ヴィシェフラード墓地

 「プシェミスルとリプシェ像」の前の門から入ると、右手には聖ペテロ聖パウロ教会、そして正面に「ヴィシェフラード墓地」の入口がありました。

右手には聖ペテロ聖パウロ教会 ヴィシェフラード墓地の入口


◇ アントニン・ドヴォルザークの墓

 まずは「我が母の教えたまえし歌」「新世界」などで有名なドヴォルザーク(1841〜1904年)の墓です。
 屋根付きの回廊(?)に建っていました。
 ドヴォルザークは1904年5月1日に死亡し、葬儀はチェコ国民葬で行われました。

アントニン・ドヴォルザークの墓  


◇ ベッジフ・スメタナの墓

 スメタナの墓は、次に書く「合祀廟」の前にありました。
 下の写真は「合祀廟」から撮ったものです。

 チェコ音楽復興の闘士スメタナの晩年は、難聴と精神疾患のため悲痛なものとなりました。
 スメタナが精神病院で死亡したのは1884年5月12日。
 この5月12日に「プラハの春音楽祭」がスメタナの「我が祖国」の演奏で始まることはよく知られています。

◇ カレル・チャペックの墓

 戯曲「ロボット」により、SF文学の先駆けとなったカレル・チャペックの墓は、ロケットのような少しおかしな形をしていました。

スメタナの墓 カレル・チャペックの墓


◇ 合祀廟

 スメタナの墓の前に「合祀廟」があります。
 チェコの国民的芸術家が合祀されているのですが、アールヌーボーの画家アルフォンス・ムハ(ミュシャ)、バイオリニストのヤン・クーベリック、指揮者のラファエル・クーベリックの名前が並んでいました。

合祀廟 ムハ・クーベリック父子の墓

前へ  ホームページへ  プラハ速報目次へ  次へ