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◇ ヴィシェフラード墓地 「プシェミスルとリプシェ像」の前の門から入ると、右手には聖ペテロ聖パウロ教会、そして正面に「ヴィシェフラード墓地」の入口がありました。
◇ アントニン・ドヴォルザークの墓 まずは「我が母の教えたまえし歌」「新世界」などで有名なドヴォルザーク(1841〜1904年)の墓です。 屋根付きの回廊(?)に建っていました。 ドヴォルザークは1904年5月1日に死亡し、葬儀はチェコ国民葬で行われました。
◇ ベッジフ・スメタナの墓 スメタナの墓は、次に書く「合祀廟」の前にありました。 下の写真は「合祀廟」から撮ったものです。 チェコ音楽復興の闘士スメタナの晩年は、難聴と精神疾患のため悲痛なものとなりました。 スメタナが精神病院で死亡したのは1884年5月12日。 この5月12日に「プラハの春音楽祭」がスメタナの「我が祖国」の演奏で始まることはよく知られています。 ◇ カレル・チャペックの墓 戯曲「ロボット」により、SF文学の先駆けとなったカレル・チャペックの墓は、ロケットのような少しおかしな形をしていました。
◇ 合祀廟 スメタナの墓の前に「合祀廟」があります。 チェコの国民的芸術家が合祀されているのですが、アールヌーボーの画家アルフォンス・ムハ(ミュシャ)、バイオリニストのヤン・クーベリック、指揮者のラファエル・クーベリックの名前が並んでいました。
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