イタリアオペラ紀行 
6) プッチーニ紀行/ヴィラ・プッチーニ 07年5月2日(水)

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 ヴィラ・プッチーニの前に、有名なコートを着たプッチーニ像が立っています。
 プッチーニは1884年にこの家に移ってきました。
 彼はトッレ・デル・ラーゴの自然を愛し、船やモーターボート、そして狩猟を楽しみました。

 年譜を見てみると、彼はトッレ・デル・ラーゴで《エドガール》《マノン・レスコー》《ボエーム》《トスカ》《蝶々夫人》《西部の娘》《つばめ》《三部作》を作曲したようです。
 彼は《ボエーム》の収入で、別荘を建て替えたそうです。

ヴィラ・プッチーニの前に コートを着たプッチーニ像


 10時になり、いよいよヴィラ・プッチーニの開館です。
 入場者は僕一人です。
 40分おきにガイドツアーがあるように掲示されていますが、実際にはオーディオガイドを自分で操作するものでした。
 日本語用はなく英語用を借りましたが、聞いていると頭が苦しくなるので、飛ばし飛ばし聞いて、20分で終わってしまいました (^_^ゞ。

ヴィラの庭園 ヴィラの右壁
建物からおばさんが現れ 10時開館


 ヴィラ・プッチーニの展示は実に充実したものですが、すべて撮影禁止なのは残念でした。
 中でも印象深かったのは銃のコレクションとプッチーニの狩猟服&狩猟靴。
 このヴィラに招かれた三浦環の、「親愛なるプッチーニ先生へ」ときれいな日本語で書かれたプロマイドもありました。

 そしてプッチーニ一家の墓。
 プッチーニの死後、息子のアントニオが書斎を改造して教会にしたそうですが、ヴィラの中に墓があるのは、何だかすごいと思いました。
 僕なら怖くて、夜はちょっと歩けませんね。

 これでプッチーニ紀行はおしまいで、ヴィアレッジョ駅に戻ります。
 タクシー代はトータルで70ユーロでした。

 腹が立つ事に、駅に戻ったら青空になってきました (^_^ゞ。
 帰りの汽車はヴィアレッジョ発12:01、ジェノヴァ着2:05。
 余裕を持って3時半開演のオペラに間に合います。

 ジェノヴァまでの路線はジェノヴァ湾(東リヴィエラ)に沿って走るとの事で、美しい海岸風景を期待していましたが、山が海のそばまで迫って、トンネルが多かったのは残念でした。
 
 ジェノヴァ近くから眠くなって頭がくらくらしてきました。
 睡眠不足でしょうか?
 こんな体調でオペラ観劇も心配なんですが、でも行かなくてはなりません。
 
青空のヴィアレッジョ駅 車窓から
ジェノヴァ湾(東リヴィエラ)  
 
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