フィレンツェ紀行 2008年12月31日(水)
3)サンタ・クローチェ教会

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 サンタ・クローチェ教会には有名人のお墓がたくさんあり、お墓のリストを集めるのに絶好の教会です (^_^) 。
 フィレンツェには色大理石を使っている教会が多く、とてもきれいです。

 教会の入り口は左側にあり、内部は壁も床もお墓でした。
 右下の写真、中央の東洋人女性係員に「エクスキューズミー」と声を掛けたら「はい!」と返事がありまして、「やっぱり!日本人だと思った (^_^; 」なんて、いろいろ説明していただきました。
 美術系の人らしい。
 
  サンタ・クローチェ教会
  教会内部 壁も床もお墓
 
 
 最初のお墓はミケランジェロ・ブオナローティ(1475年3月6日 - 1564年2月18日)。
 ミケランジェロは仕事のために滞在していたローマで死亡し、死後サンタ・クローチェ教会に遺体が運ばれたそうです。

 ガリレオ・ガリレイ(1564年2月15日 - 1642年1月8日)は 「それでも地球は動く」で有名な地動説を巡る宗教裁判で有罪となり、フィレンツェの自宅に戻ることを許されず、幽閉先で死亡しました。

 死後もカトリック教徒として葬ることを許されず、サンタ・クローチェ教会に葬られたのは1737年3月12日のことでした。
 
ミケランジェロ・ブオナローティ ガリレオ・ガリレイ
 

 そしてダンテ・アリギエーリ(1265年 − 1321年9月14日)の祈念廟。
 政争に敗れたダンテはイタリア国内を放浪し、1321年にラベンナで死去し、遺体はラヴェンナのサン・ピエトロ・マッジョーレ教会に埋葬されました。

 ニッコロ・マキャヴェッリ(1469年5月3日 - 1527年6月21日)。
 「君主論」が有名ですが、政治家としては失敗が多かったようです。

ダンテ・アリギエーリ ニッコロ・マキャヴェッリ


 ジョアキーノ・ロッシーニ(1792年2月29日 - 1868年11月13日)の墓は修復工事中でした (@o@)。
 先ほどのお姉さんの話では、まだ数年はかかるようです。
 仕方がないので、昔の写真を出しておきます。
 ロッシーニはパリで客死し、本人の希望でフィレンツェに埋葬されているそうです。

ロッシーニの墓は工事中 昔の写真
祭 壇 ドナテッロの十字架
 
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