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次に待たせていたタクシーで、ネヴァ川に近いアレクサンドル・ネフスキー大修道院へ向かいます。 後にウラジーミル大公となるノヴゴロド公アレクサンドル・ネフスキー(在位1252~63)は、1240年にネヴァ川でスウェーデンを破り、2年後には西から押し寄せるドイツ騎士団をチュード湖上で破ったそうです。 映画監督のセルゲイ・エイゼンシュテインは1938年、「チュード湖の戦い」を素材とする映画「アレクサンドル・ネフスキー」を製作しました。 そして、セルゲイ・プロコフィエフが音楽を担当しました。 プロコフィエフは後にその曲を用いて演奏会用のカンタータ『アレクサンドル・ネフスキー』を発表しました。 西方カトリックの侵入からロシアを守ったアレクサンドル・ネフスキーは、早くから聖人化が始まり、1547年にはロシア正教会の聖人となりました。 サンクトペテルブルグに首都を移したピョートル大帝は、ネヴァ河畔の戦いの古戦場にアレクサンドル・ネフスキー大修道院を建立しました。 1724年、ピョートル大帝の命により、ウラジーミルにあったアレクサンドル・ネフスキーの聖骸がこの修道院に移され、聖アレクサンドル・ネフスキーは新首都サンクトペテルブルクの守護聖人となりました。 今回の旅行では、多くのロシア正教会で彼のイコンやタペストリー(?)を見たような気がします。
入口を入ると石畳の道が続き、正面に大修道院が見えます。 そして右側の壁にチフヴィン墓地への入口がありました。
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