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サンクトペテルブルク最後の日は、歴代皇帝のお墓参りでペトロパヴロフスク要塞へ。 ペトロパヴロフスク要塞の城壁外からネヴァ川 と エルミタージュ美術館を望むことが出来ます。 軍港に係留されているのが巡洋艦「オーロラ」号。 1917年10月25日午後9時45分、「オーロラ」号から合図の号砲が発せられ、臨時政府の閣僚が残る冬宮に対する攻撃が始まりました。 「十月革命」です。 冬宮は、ほとんど抵抗らしき抵抗はなく、26日の午前2時ごろに占領され、臨時政府の閣僚たちは逮捕され、ケレンスキーは冬宮を脱出し最終的に国外へ逃れました。 十月革命によりボリシェヴィキ主導のソビエトへと権力が集中されました。
ペトロパヴロフスク大聖堂ではミサが行われており、1時間ほど待たされました。 大勢の中国人団体が大声で通り過ぎ、まあ、下品でしたね。 でも、中国人ってお金持ちみたいです。 大聖堂に入ると右側の部屋で工事が行われていました。 ロシア革命での退位後、ニコライ2世一家はエカテリンブルク、イパチェフ館に幽閉されていました。 そして1918年7月17日にレーニンが送り込んだ処刑団により、ニコライ2世、アレクサンドラ元皇后、オリガ元皇女、タチアナ元皇女、マリア元皇女、アナスタシア元皇女、アレクセイ元皇太子、は全員虐殺されました。 ソ連が崩壊し、皇帝一家の虐殺が明らかになり、遺骨が発見されました。 没後80周年の1998年7月、遺骨はペトロパヴロフスク聖堂に埋葬された。 正教会は2000年にロマノフ一家を聖人に列し、5人の子供のうち一緒に埋葬されていなかった2人(皇太子アレクセイと皇女マリア)のものとされる遺骨を聖堂に埋葬する条件として、ニコライ2世の遺骨が本物である新たな確認を求めていた。 ロシアの調査委員会は11日、ロシア正教会の要請で実施したDNA鑑定で、ロマノフ王朝最後の皇帝、ニコライ2世とアレクサンドラ皇后の遺骨が本物であることをあらためて確認したと発表した。 今回の確認により、1918年に革命勢力によって処刑されたロマノフ家の全員が初めて一緒に埋葬される可能性が強まってきた。 また正教会は、07年に発見されたアレクセイとマリアの遺骨についても鑑定を実施するよう求めている。 ガイド嬢の話では、遺骨を納める式典の時には、世界中から多くのロマノフ一族(エディンバラ公とか)が集まるだろう、とのことでした。
大聖堂の中には椅子がありませんでした。 信者達は立ったままミサに参加するのでしょう。 この大聖堂はロマノフ家の皇帝たちの墓所であり、僕は多くの皇帝、女帝のお墓を見ることが出来るはずでした。 ところが、そこには多くの大理石の棺が並んでいるだけで、どれが誰のお墓かまったく分かりません。
ピョートル1世だけは胸像がありました。 でも、その他のエカテリーナ2世とか、ロシア史を彩る皇帝たちのお墓は同じ形なんですね。 キリル文字が読めれば、話は変わったかも知れません。 そしてお墓の断面図に見るように、本当の棺は深くに置かれており、我々が見ることが出来る大理石の棺の中は空なのだそうです。
これでサンクトペテルブルグの観光を終え、飛行機でモスクワに移ります。 夕方に到着したシェレメチェボ国際空港。 キリル語の掲示が全く分からないので、現地係員を必死で見つけ、子供のようにあちこち連れ回されて、タクシーに乗り込んだときには本当に安心しました。 シェレメチェボ国際空港からモスクワの街までは、話には聞いていたけれど。凄まじい渋滞でした。 |