18)ノヴォデヴィチ墓地3 =政治家・その他= 2015年9月22日(月)

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 ミハイル・ゴルバチョフ(1931年3月2日~)はソビエト連邦最後の最高指導者。
 1986年3月にソビエト連邦共産党書記長に就任し、ペレストロイカ(改革)、グラスノスチ(情報公開)など民主的政策を推し進め、1990年ノーベル平和賞受賞。

 しかし徐々に政策に行き詰まり、1991年の保守派による「8月クーデター」で失脚。
 1991年12月8日、エリツィンロシア大統領はウクライナ、ベラルーシとの秘密会談を行い、ロシア・ウクライナ・ベラルーシのソ連からの離脱と独立国家共同体の樹立を宣言することで合意した(ベロヴェーシ合意)。
 これによりソビエト連邦は崩壊し、12月25日、ゴルバチョフはソ連大統領を辞任した。

 1999年9月20日、妻のライーサを白血病で失う。
 ゴルバチョフ自身は健在(2000年)ですが、将来はこのお墓に入ることになるのでしょう。

 白、青、赤のロシア国旗がボリス・エリツィン(1931年2月1日~2007年4月23日)の墓。
 ロシア連邦の初代大統領(在任(1991~1999)。
 エリツィンの経済政策はハイパーインフレーションを引き起こし、莫大な富を築き上げる新興財閥が出現しました。
 1999年12月31日のテレビ演説でエリツィンは辞意を表明し、後継の大統領として、プーチン首相を指名。
 プーチンの最初の大統領令はエリツィンを生涯にわたって刑事訴追から免責するというものでした。
 大統領辞任後は表舞台からは姿を消し、悠々自適の年金生活を送り、2007年4月23日、心臓疾患により死亡。
 
ライーサ・ゴルバチョフ ボリス・エリツィン


 通訳嬢の話では「エリツィンは酔っ払いのお爺さん」だが、ゴルバチョフは「大ソビエト連邦を崩壊させた張本人」として、ロシア人にたいへん嫌われているそうだ。
 ゴルバチョフ夫人は積極的な人物だったが、口出しが多く、大バレリーナ、マイヤ・プリセツカ(瀕死の白鳥)をボリショイ劇場から追い出したり、夫婦揃って嫌われているそうだ。

 ここで日本の政治家について聞かれたので、「先週号の『週刊ダイヤモンド』のアンケートによれば、鳩山由起夫が圧倒的に最悪な首相だった」 と答えたが、「鳩山の息子はモスクワに居る」とのことだった。
 
 ニキータ・フルシチョフ(1894年4月17日~1971年9月11日)は、スターリン以後のソヴィエトの最高指導者。
 スターリン批判(1956年)、ハンガリー動乱(1956年)、キューバ危機(1962年)など。
 1964年10月、失脚。ソ連はブレジネフ、コスイギン、ポドゴルヌイのトロイカ体制となる。
 フルシチョフの墓はかつての最高指導者にしては小さいお墓でしたが、懐かしかったですね。

 エフゲニー・プリマコフ(1929年10月29日~2015年6月26日)は、エリツィン大統領時代にロシア連邦2代目外相、3代目首相。
 
ニキータ・フルシチョフ エフゲニー・プリマコフ


 文学者ではアントン・チェーホフ(1860年1月29日~1904年7月15日/享年44歳)の墓。
 1884年、モスクワ大学医学部を卒業し、医師として働く。
 多くの作品を残し、「かもめ」「三人姉妹」「桜の園」

 ノヴォデヴィッチ墓地には、ニコライ・ゴーゴリ、イワン・ツルゲーネフのお墓もあるようです。
 
アントン・チェーホフ 新しいお墓は美しい


 ロシアのガイドブックによく出てくるのが、ガリーナ・ウラノワ(1910年1月8日~1988年~3月21日)の墓。
 ボリショイ・バレエでは、16年間、最高位のプリマ・バレリーナの座にありました。

 もう一つインパクトがあったのがユーリー・ニクーリン(1921年12月18日~1997年8月21日)の墓。
 ニクーリンサーカスの主催者。
 俳優、道化師、喜劇役者。
 
ガリーナ・ウラノワ ユーリー・ニクーリン
 
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