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ノヴォデヴィッチ墓地からモスクワの中心であるクレムリン広場に、タクシーで移動します。 クレムリン広場では15世紀後半、イヴァン3世(イヴァン大帝)の治世に、イタリア人建築家により進んだ築城術が導入され、ルネサンス風に全面改築がなされました。 戴冠式が執り行われるウスペンスキー大聖堂(1479年再建)、ブラゴヴェシチェンスキー大聖堂(1489年建立)、歴代皇帝の棺がおさめられているアルハンゲリスキー大聖堂(1508年建立)の三大聖堂が建立されました。 1605年 4月23日、ボリス・ゴドゥノフは急死しました。 ボリスは簒奪者ということでアルハンゲリスキー大聖堂には入れられず、ボリ スと家族の墓はモスクワ近郊のセルギエフ・ポサードという街のウスペンスキー大聖堂の外に、雨ざらしになって置かれているそうです。 ・《ボリス・ゴドゥノフ》プロローグ第2場「戴冠式の場」 ウスペンスキー大聖堂とアルハンゲルスキー大聖堂に挟まれたクレムリン広場にモスクワの民衆が集まっている。 ウスペンスキー大聖堂からシュイスキー公が登場し、ボリスの戴冠を宣言する。 民衆はツァーリを称える大合唱をする。 やがて戴冠式を終えたボリスが王笏と権標を手に持ち、ウスペンスキー大聖堂から姿を現す。 ボリスは権力者の責任を痛感し独白する(ボリスのモノローグ「我が魂は悲しむ」)。 再び歓喜の声が沸き上がり(民衆の合唱「光栄あれ!光栄あれ!光栄あれ!」)。 鐘が鳴り響く中、一同はアルハンゲルスキー大聖堂へと進む。
ノヴォデヴィチ墓地に時間を取られて、クレムリン広場の重要な建物は外からざっと眺めただけになってしまいました。 ・イヴァン大帝の鐘楼 1508年にイタリア人建築家ポノフリアツィンによって建設され、1532年に鐘楼が増築されました。 スターリンによって高層ホテルなどが建てられるまで、モスクワで最も高い建物でした。 ・大砲の皇帝(大砲の王様) この巨大な大砲は、1586年に鋳造されました。 砲身は全長5.3メートル、重量40トンの巨大な大砲ですが、一度も発射されたことは無いそうです。 ・鐘の皇帝 1735年に製造された高さ6.14メートル、重さ200トンの世界最大の鐘。 残念ながら鋳造中に火事が起こり、消火のために水を掛けたところ、壁にひびが入り、一部が焼け落ちてしまった。 そのため誰も鐘の音を聴いたことが無いそうです。
クレムリン広場に面してロシア連邦大統領府があり、大統領が執務中は大統領旗が掲げられています。
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