富士山撮影旅行  2003年1月13日(月・休)
「御殿場」 Q「城前寺・曽我兄弟の墓」

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 バスで御殿場まで戻り、御殿場線で下曽我(神奈川県小田原市)まで移動します。
 下曽我駅に近い「曽我の梅園」は、富士山の撮影スポットとしても有名です。
 しかし梅の季節には少し早く、今回目指すは曽我兄弟の菩提寺である城前寺です。

JR御殿場駅 御殿場からの富士山
下 曽 我 駅 城 前 寺


 曽我五郎・十郎の父河津三郎祐泰(すけやす)が工藤祐経の従者によって暗殺されたのは、安元2年(1176)12月、伊豆奥野で行われた狩の帰り道でした。
 暗殺の背景には、祐泰の父伊東祐親と工藤祐経(いとこ同士)との間の領地相続争いがありました。
 祐泰の死後、妻の満江(まんごう)御前は、相模国曽我庄(小田原市)の曽我祐信(すけのぶ)と再婚しました。
 5歳の一万(十郎)、3歳の箱王(五郎)も、母と共に小田原の曽我の家に引き取られました。
 曽我に再嫁してからの兄弟の母は身辺の平穏を望み、わが子に仇討ちの志を捨てさせようとしますが、兄弟の父への思慕と、仇祐経に対する憎しみは強く、結局兄弟は仇討ちの初志を貫いたわけです。

 Q「城前寺」 
 下曽我駅から城前寺までは徒歩10分。
 本堂の裏手には、曽我兄弟・母満江御前・義父祐信の墓といわれる4基の五輪塔が立っていました。
 「曽我兄弟の墓」は他にも箱根双子山麓、富士市の福来寺、伊東市の東林寺などにあるそうです。
 お墓の前には幼い兄弟の銅像が建っていましたが、この可愛い子供達が成長してテロリストになるんですから恐ろしいことです。

正面が一族の墓 将来はテロリスト


 城前寺は見晴らしの良い高台にあり、足柄平野と箱根連山越しに望む富士山は、富士山と曽我兄弟ゆかりの地を巡る旅の締め括りにふさわしいものでした。

 
 
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