あじさい紀行 (1)本光寺(三ヶ根) 03年6月15日(日)

ホームページへ  「日本紀行03」に戻る  (2)形原温泉へ
 

 蒲郡近くの「あじさい」の名所に行って来ました。

 まずは幸田町の「本光寺」。
 JR東海道線「三ヶ根駅」から徒歩10分くらい。
 見頃とあって、たくさんの人で混雑していました。
 
三ヶ根駅 本光寺山門へ


 本光寺は徳川家を支えた深溝(ふこうず)松平氏の菩提寺です。
 「深溝」はこのあたりの地名です。
 家康から遡ること六代前(たぶん)の松平信光からは七つの家系が分かれておりまして、家康は二男親忠、深溝松平氏は五男忠景の子孫に当たるようです。

 「西御廟所」には初代忠定、二代好景、三代伊忠(これただ)、四代家忠の墓がありました。
 好景は永禄4年(1561)吉良義昭と戦い討死。
 伊忠は天正3年(1575)長篠・鳶ヶ巣山の戦いにて戦死。
 家忠は弘治元年(1555)〜慶長5年(1600)伏見城の戦いで戦死。
 代々の当主が戦死しているという、なかなか凄い家系です。

あじさいと山門 西御廟所


 階段を上った「東御廟所」には、その後の歴代藩主の墓が整然と並んでいました。
 深溝松平氏は肥後島原七万国の城主となりましたが、藩主が死ぬと島原の本光寺で戒名を受けた後、船で蒲郡まで運ばれ、行列を整え東御廟所に入ったということです。
 魚の鱗状に敷き詰められた石は「小判石」と呼ばれ、深溝松平家ゆかりの保母町、小美町の乙川で採られたものということです。

東御廟所 願かけ亀
 
 本光寺には「願かけ亀」なる石の亀がありまして、カメのエリ首に賽銭が入ると願いが叶うと言われています。
 さっそく投げてみましたが、上手く入りません。
 「これでは不幸になってしまう!」と焦りまして、3回目にやっと背中に乗せることが出来ました。
 しかし「御利益3分の1か」と考えると、あまり幸せな気持ちにはなれませんでしたね。
 
 
ホームページへ  「日本紀行03」に戻る  (2)形原温泉へ