会津若松(3) 野口英世青春館 2003年8月14日
 
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 翁島尋常小学校を優秀な成績で卒業した清作は、家が貧しいために進学は困難でしたが、猪苗代高等小学校の首席訓導であった小林栄先生の援助で、猪苗代高等小学校に入学することが出来ました。ここでも清作は頭角を現し、やがて級の首席になりました。

 17歳の時、清作は仲間の援助を受け、会津若松市の會陽医院で渡部鼎医師の手術を受け、癒着した指を切り離しました。その結果症状は改善しましたが、必ずしも満足のいくものではなかったようで、後に東京に出てから、清作は再手術を受けています。

 高等小学校を卒業した清作は、やがて医師への道を目指すようになります。貧しい野口家では清作を医科大学に進ませることはできません。そこで清作は自分が手術を受けた會陽医院に書生として住み込み、医学開業試験の合格を目指すことになりました。

 この會陽医院の建物は今でも「野口英世青春館」として保存されています。一階はアンティークな喫茶店ですが、100円払って英世が生活していた二階に登ると、野口英世に関する貴重な資料や思いでの品々が展示してあります。中でも「ナポレオンは1日に3時間しか眠らなかった」として勉強に励んだ机が印象に残りました。

野口英世青春館・旧會陽医院 一階は喫茶店
二階が「野口英世青春館」 階段の左手に机
野口英世が使った机 野口英世青春通り・街灯に英世の顔


 「野口英世青春館」から、英世の初恋の人である「山内ヨネの家」までは「野口英世青春通り」と名付けられています。もっともこの初恋は英世の一方的な片想いで、ヨネにとっては迷惑な話だったようです。山内ヨネの若死にした父親は会津藩藩医で、彼女は後に開業試験に合格し、夫と共に会津若松で開業しています。

山内ヨネの家 右の土蔵が山内ヨネの家だとか


 清作は19歳の時、医師開業試験の勉強を続けるために上京しました。その別れに際し、生家の柱に「志を得ざれば、再び此地を踏まず」という言葉を刻んだことは、先に書いたとおりです。その後の英世の輝かしく痛ましい人生については、渡辺淳一の「遠き落日」(集英社文庫)をぜひ御一読下さい。
 
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