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晴天だったので、かねてから行きたいと思っていた木曽駒ヶ岳ロープウェイを目指し出発しました。 恵那山を正面に見る中央道は渋滞しておりまして、原因は三重衝突でした。 空は晴れ、南アルプスはくっきり見えているのに、中央アルプスは雲がかかっています。 仕方がないので、もう少し足を延ばし高遠に行くことにしました。
桜の季節には人で溢れる高遠城趾ですが、もう木の葉も散っていました。 高遠城で有名なのは武田信玄の五男、仁科五郎信盛。 信玄の時代には天下制覇を目指した武田家ですが、攻め寄せる5万の織田信忠軍に、まともに戦ったのは、3千の兵で徹底抗戦し全滅した信盛だけ。 本丸跡には信盛を祀る新城神社がありました。 近くの山の間から中央アルプス(木曽駒ヶ岳)と南アルプス(仙丈ケ岳)が少しずつ見えました。
江戸時代のお殿様には保科正之(徳川秀忠の子・会津藩祖)などという大物の名も見られますが、長く治めたのは内藤氏3万3千石。 現在の新宿御苑は内藤家の屋敷の一部で、その北側に甲州街道に沿って造成された宿場「内藤新宿」は新宿副都心となっています。 昼食は「華留運(けるん)」の高遠そば。 大根おろしと焼き味噌のつゆでいただきます。 高遠の町はひっそりとしていたけれど、この店は繁盛していました。
おみやげは高遠まんじゅう。 餡がぎっしり詰まった薄皮まんじゅうです。 「亀屋」と「あかはね」を較べてみましたが、「亀屋」の方があっさり味。
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