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今年の夏に「東北県庁巡り」をした時に二本松を訪れたのですが、あいにくの雨でした。 「智恵子抄」で有名な安達太良山はどうしても見たい。 再アタックするなら有名な「二本松の菊人形」の時と心に決めておりました。
◇智恵子の生家 明治19年5月20日、智恵子は、安達郡油井村(現在の安達町)で、造り酒屋である長沼家の長女として誕生しました。 この地方一番の造り酒屋だった智恵子の生家は、奥州街道に面した、立派な建物でした。 日本女子大学校を卒業後、洋画家を志した智恵子は、詩人であり彫刻家である高村光太郎と出会い、大正3年に結婚。 しかし、父の死(大正7年)や実家の破産(昭和4年)といった出来事や、芸術家としての自己矛盾に、だんだん心を病むようになり、昭和6年、智恵子45歳の時、精神分裂の兆候が現われだしました。 昭和7年、アダリン自殺を図り、昭和10年には精神分裂症としてゼームズ坂病院に入院。 昭和13年10月5日死亡。52歳。
◇「樹下の二人」(大正十二年三月) 光太郎44歳? あれが阿多多羅山、 あの光るのが阿武隈川。 ここはあなたの生まれたふるさと、 あの小さな白壁の点点があなたのうちの酒庫( さかぐら)。 智恵子抄の「樹下の二人」を読めば、誰だって安達太良山が見たくなるでしょう。 結婚してからの智恵子は病気がちで、よく故郷に帰りました。 静養中の智恵子は光太郎と2人で、裏山にあたる鞍石山へ登ったといいます。 現在、鞍石山周辺は「智恵子の杜公園」として整備されています。 この日は快晴だったのですが、霞がかかったようで安達太良山は見えにくかった。 いろいろ撮影条件を変えてがんばったのですが、もともと見えないものは写りませんね。
驚いたのは安達太良山と阿武隈川が正反対方向にあったこと。 やはり現場に来ないと分からないことは多いですね。 智恵子の家の酒庫はここからは見えない、とのことでした。 詩は心象風景なんでしょう。
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