二本松(4) 大隣寺と二本松少年隊 03年11月2日
 
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◇大隣寺と二本松少年隊

 藩主丹羽氏の菩提寺である「大隣寺」には「二本松少年隊」の墓もあります。
 慶応四年(1868)七月戊辰戦争の最中、十三歳から十七歳までの少年六十二名が出陣。
 七月二十九日、城内への要衝・大壇口では隊長木村銃太郎(22歳)率いる少年二十五名が果敢に戦ったが、正午ごろ二本松城は炎上し落城した。
 二本松少年隊は会津白虎隊のように同じ場所で死んだわけではありませんが、ここ大隣寺には十六名の墓が建てられています。

大隣寺 二本松少年隊の墓


◇内室陰墓

 大隣寺には丹羽家代々藩主のお墓があるんですが、興味深かったのは「内室陰墓」。
 藩主の正室は江戸に住み、領地の奥方は側室でした。
 側室の子供が藩主になったケースもあるそうですが、側室はあくまでも陰の存在でした。
 で、お殿様とは別に、側室の墓が「内室陰墓」として並んでいました。

丹羽家代々藩主の墓 内室陰墓


 15時28分の東北線で郡山へ。
 この区間では安達太良山がきれいに見え、僕はたいへん満足でした。
 安達太良山は郡山駅からも見えていましたね。

二本松駅からの安達太良山 東北本線からの安達太良山
 
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